飛ぶ。咲く。走る。
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世界と旅とこれからの話。

2016年2月25日

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1061日、80ヶ国。
それぞれの数字のダイヤルをあとひとつまわして、明日、僕の旅は終わる。

東南アジアから、フィリピンの語学留学を経て、インド、中東へ。
ヨーロッパではトマト祭や泡パーティーに参加して、スペインの巡礼路を歩いた。
アフリカ縦断の途中、民族に会い、火山を見て、サファリへ行き、キリマンジャロに登った。

南米ではウユニ、マチュピチュ、パタゴニア地方やイースター島、ガラパゴス諸島をまわり、アマゾン川をハンモック船でくだって入国したブラジルではW杯を観戦した。
アメリカではバーニングマンに参戦し、その後ロスで購入したバイクで中米を縦断、再びロスまで戻りアメリカを横断した。

2度目のヨーロッパでは東欧、北欧を中心に20ヶ国をまわり、ロシアにも行った。
コーカサス地方から中央アジアへぬけパミール高原をこえ、
途中強盗に全ての荷物を奪われ手ぶらの旅になりながら、それでも旅は続いた。

最後に帰ってきたアジアでは中国やミャンマーの自然に心を掴まれ、
パンガン島でのカウントダウンパーティーや台湾のランタン祭にも参加し、エベレストにも登った。

振り返るといろいろあったなとは思うけれど、ほんとにあっというまの3年で。

うまくいくことばかりではなくて、悲しいこともつらいときもあったけれど、
それでも、どうだったと聞かれれば、楽しかった以外の返答は思いつかない。

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世界は美しくて、人は優しい。
そんな風な文章でこの旅を終えるんだろうなと思っていた。

でも、実際はそんなことはなくて。

薄暗い路地裏では怒鳴りあう声が響き、裸足の子供がマネー、マネーと袖を引く。
高層ビルの隙間にすら、家を持たない人の生活はあり、
ゴミと埃にまみれる穴だらけの道路で、小学生にもならない子供が煙草を売り歩く。

人の気持ちを考えず、味方のふりして搾取する。
相手のルールに土足で上がりこんで、勝手な正義を振りかざす。
自分の傷には敏感なくせに、他人の痛みは見て見ぬふりで受け流す。

失望もしたし、無力さも痛感した。
それでも続けた旅の中で気づいたのは、
すべての世界が美しくある必要はないのかもしれないということ。

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見たくない景色もあったけど、そこには忘れられない景色もあった。

色も音も消えた真夜中のキリマンジャロを月は優しく包み、
朝日に照らされフィッツロイは少しの間だけ赤く輝く。

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緑に囲まれたトンネルにその名の通り愛があふれ、
時間軸までこえたように錯覚させる街にクラッシックカーが映える。

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砂漠に1週間だけ現れる光の街は最後は燃えて崩れ、
何百年も前からある遺跡はその立ち姿で歴史を語る。

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黄色の矢印に導かれてたどり着いたゴールにはスタートがあり、
青空の下どこまでも続く道をバイクで走り抜ける心地よさには続く喜びがある。

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燃えるマグマの熱気が喉を乾かせ、
降り続ける雨が真っ白な大地に鏡を作る。

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山間に赤い花が咲いたように広がる街で人は祈り、
キリンがサイがライオンが目の前を走り抜けていく。

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無人島では海中で夜光虫が流星群のように瞬き、
満月の夜にだけヴィクトリアの滝には虹があらわれる。

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それが全てでなくても、美しい世界はあった。美しい景色は日常に潜んでいた。

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人も同じで。傷つくことはあったけど、救われることもあった。

ロスの空港のベンチで悩んでいるときに道を聞かれて案内したあと、
別れ際に、どうして見るからに旅行者の僕に声をかけたのとたずねると、
元気がなさそうだったから話しかけてみたのよ、と笑って答えるおばあちゃんがいた。

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ドイツのスーパーで、バナナとトマトのどちらを昼ごはんにするか悩みに悩んで、
結局トマトを2つだけ買って店を出た僕を後ろから追いかけてきてくれて、
僕が買えなかったバナナを差し出しながら、ピースと微笑んでくれた店員さんがいた。

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メキシコの田舎町でバイクが故障して途方に暮れているときに、
トラックでバイクを自分の家まで運んで必要な部品を一緒に探してくれたおじちゃんと、
不安そうに待つ僕に店の売り物のラーメンとコーラをくれたおばちゃんと、
時間がかかりそうなことを察してサッカーに誘ってくれたそこの家の息子がいた。

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言葉の通じない国で優しくしてくれる人がいて、
身振り手振りでしか感謝の気持ちを伝えれない僕のめちゃくちゃな表現を、
それでもしっかり目を見て受け止めてくれた。

全員がそうでなくても、優しい人はいた。人の優しい心はとてもあたたかかった。

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きっとそれで十分なんだと思う。
すべての景色が、すべての人が、すべての時間に美しく優しくあり続ける必要なんてない。

この景色を見るために、この人に出会うために、自分は生きてきたのかもしれない、
そう思える瞬間が一瞬でもあれば、この世界を生きる意味はあると思う。

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求めていたものとは違う何かを、それでも大切だと握りしめる。
見続けている夢を諦めきれずにいて、かけ離れた今を捨てきれずにいる。
曖昧な言葉で騙しきれない本心を、帰り道の寒空へため息とともに逃がす。

僕らは、人知れず戦っている。

悟ったふりして諦めて。忘れたふりして期待して。
不安は絶えず、道は険しい。それでも僕らは進む。

いつかどこかで肯定される、そんな景色にそんな人に、きっと出会う。
そういう風に信じるくらいの価値はこの世界にあると思う。

美しくなくても、優しくなくても、それでも。
生きていくには、わるくない世界だと思った。

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旅とはいったい何だったんだろうと考える。

旅をするということは、遠く異国の地へ行くということではなくて、
もしかすると数メートル単位の行為なのかもしれないと思う。

その距離に関係なく、今いる場所ではないどこかへ向かうそのときに、
歩みが経験として、出会いが感情として、変化が視点として、
自分の世界に新たな色を加える。

この”色を集める”という行為が、旅というものなのではないだろうか。

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そこに何があるのか、誰と出会うのか、何を見て何を思うのか、
それはその場所に立つまではわからなくて、
辿り着いた瞬間に、胸を掴まれ鳥肌が立ち血液が熱く巡り、新しい色の存在を知る。

それはときに自分の持つ別の色と混ざりながら、パレットに加わり、
そうして増えていく色を見るのが楽しくて、僕は旅を続けた。

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出国前の日記で、僕は、旅が始まる前の状態を、
“大きな白い画用紙があるけどどうしよう状態”と表現していた。

その表現には、旅が終わるころには、
きっと素晴らしい絵が描き上げられてるんだろうという、期待が含まれていた。

いろんな景色を見てきた目は、すべての答えを見通せて、
いろんな人と出会うことで、ずっと優しく強くなれて、
そのなかで描きあげられていく絵は、世界を驚かせるようなものになると信じていた。

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でも、実際は、そんなことはなかった。

僕は、あいかわらず、僕のままで。
視野が広がることも、感受性が豊かになることもなく、
大きな画用紙はまだ真っ白のまま、ポケットの中にはいっている。

あれ、こんなはずじゃなかったんだけれどなと首をかしげながら、
その理由を考えて、ようやくわかったのは、
“色を集める”ということと”何かを描く”ということは違うということ。

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旅をしていると、多くの景色を見て、多くの人と出会う。
そうやっていろいろな色を手にする度、それだけで自分がおおきく変わったような錯覚を覚える。

でも、それはあくまで何かを描くための手段を得たに過ぎず、
その時点で何かを成し遂げたわけではない。

だから意味がない、なんてことが言いたいのではない。
焦る必要はない、と思うのだ。

この旅で僕は、間違いなく、
たくさんの経験を、たくさんの感情を、たくさんの視点を、味わった。
そして、今、パレットに多くの色が並んでいる。

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僕の旅は、終わる。
でも、物語は続く。

きっと、ここからが始まりなんだと思う。
世界を驚かせるような絵は、きっとこれから描かれる。

無邪気な期待で、未来の自分にプレッシャーをかけながら、
それでも何を描こうかなとキャンパスに立ち向かえるくらいには、
僕はこの旅をしてよかったと思っている。

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世界一周。
いつかしたいなとずっと憧れていた。

僕は、遠くへ行きたかった。
自分を取り巻く全てから離れ、ひとりで遠くまで歩けば、
どこかで大切な何かを見つけることができると思っていた。

でも、どれだけ歩いてもそれは見つけられず、
遠くへ離れよう離れようとする行為はいつの間にか、
もといた場所へ近づこう近づこうとする行為へと変わっていた。

多くのことを求めて、いろんなことを期待して、
それを叶えたわけでも、もちろん諦めたわけでもないのに、
僕は明日、日本へ帰る。

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世界一周をはじめて3年たって、ようやく一周するという言葉の意味がわかる。

どこかにたどり着く必要も、何かを成し遂げる必要もない。
何かを追いかけ、ときにそれすら見失いながら、そしていつかまた同じ場所に戻る。
それが世界を一周するということなのではないだろうか。

そこに期間も距離も方法も関係はない。
どこかを目指し、進み続け、いつか帰ってこればいい。

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僕はもうすぐ帰国する。世界一周は終わる。

でも、まだ途中にいる。
なにも終わっていない。始まってすらいない。

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答えはどこにもなかった。
世界に散らばっていたのは多くの問いかけだった。

非日常が続いているわけではなかった。
どの場所にもそこで生活する誰かの日常があった。

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ひとりになることはできなかった。
誰かに支えられることでなんとか生きてこれた。

どこか遠くなんてそんな場所はなかった。
でもだからまた帰ってこれた。

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ひとりになる必要もない。がむしゃらに遠くを目指す必要もない。
思い切り描けばいい、絵の具は揃っている、画用紙が待っている。

すべてがうまくいくわけないのは知っている。
でも、それがすべてがうまくいく明日を目指さない理由にはならない。

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思うがままに進めばいい。

友達に会いたい。心配ばっかりかけていた家族を大切にしたい。
居酒屋に行きたい、ラーメンを食べたい、鍋がしたい。

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わるくない世界がある。

桜を見に行きたい。海にも行きたい。紅葉にも雪山にも行きたい。
小説を書きたい。写真を撮りたい。花屋やパン屋もやってみたい。

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手に入れた色がパレットに並ぶ。

不安に押しつぶされそうになりながら、それでも挑戦し続けたい。
弱いときにもちゃんと笑って話せる人に、強いときにも目の前にいる誰かの気持ちをしっかり考えられる人になりたい。

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これからどうなるかわからない日々がはじまる。
でも、きっと大丈夫だと思う。

生きていくしかないし、生きていけると思う。
楽しい日々は、終わらない。

世界を驚かせるような絵を描く。
力強く、鮮やかに、そしてColorfulに。

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だからBurningMan。

2014年9月1日

出国519日目
37ヵ国目アメリカのブラックロックシティにいます。
BurningMan2014にどどんと参戦。

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BurningManってのは毎年8月末にアメリカのネバダ州で開催される、
砂漠に一週間だけ街を作ってそこで飲んで笑って遊ぼう、みたいなそんなお祭り。

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そこではお金はなんの意味も持たなくて、優しさと思いやりで成り立っていて。
架空の街で1週間はしゃぐだけはしゃいで最後にその街の象徴である”Man”を燃やして解散、
だからBurningMan。

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洋服も常識もシャイな気持ちも面倒なものは全部脱ぎ捨てて、
アートと音楽とお酒にひたってみんなでわいわい騒げば、ほら楽しくない?
みたいな、そんなファンキーなお祭り。楽しいに決まってる。

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まずはロスで買い出し。
水とかお酒とか食料とか自転車とか。

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全部どかんとつめこんで、でっかいバンで会場を目指す。

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聞かなくても行き先のわかる車と運転手。
もうすでに始まってる感がいっぱいで、どきどき。

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で、どうにかこうにかブラックロックシティへ。
ちなみにこのブラックロックシティってのも架空の都市の名前でこの1週間だけしか存在しない。
そんな半径1.2kmくらいの扇形に広がる夢の街にはじめて足を踏み入れて感じるのは、
やっぱり期待感と高揚感。どきどきとわくわく。

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ここからの1週間はほんとに怒濤で。
あっというまに日が暮れて、あっというまに日が昇る。

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右も左もわからないままふらりと出歩いて気づくのは、
右も左もわかる必要ないんじゃないかなってことで\。
すこし歩くだけで何かの作品にぶつかる、ながめる、おどろく。

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会場内にはいろんなアートカーが走っていて。
乗ることじゃなくて、見せることを意識しているかっこよさはやっぱりすごい。

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夕日を浴びながら飲むお酒は最高で、そこに音楽が流れていれば当たり前のように人も集まる。
楽しくて人が集まって、人が集まって楽しい。いい時間。

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迷いそうになれば、上を見る。
どこにいても中心にあるManが見える安心感。

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自転車で走っていると、「チェックポイントだよ、お酒は飲んでる?」とお兄さん。
飲酒検問とかあるんやと思いながら「今日はまだ飲んでないよー。」と答えると
「それはダメだね。もっと飲まないと楽しめないよ!口開けて!」と上からウイスキーを流し込まれる。楽しい。

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なにか拍手してるなと思えば、そこでは結婚式。
新郎も新婦も最高にいい笑顔で思わず魅入ってしまう。
幸せってきっとこういうこと。

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景色も登場人物も素敵で、でもそれだけじゃなくて。
毎日夕方に街灯を灯す人たちがいて、なんかそういう物語へのこだわりはすごい感動した。

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砂煙で前が見えない時はゆっくり歩けばいいし、

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歩き疲れたなら休めばいい。
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どうしていいかわからなければ神様に相談だってできる。

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BurningManってそういうところ。

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楽しいことがいっぱいあって、いてもたってもいられない、そんな感覚。
全裸で風船纏って小さい自転車で走り回りたくなる、そんな感覚。

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背景がしっかり描かれていて、でもそれ以外は真っ白で。
その物語に登場できる、ってこと以外、台詞も立ち回りも小道具も全て任されていて。
だからこそ迷うし、だからこそ思い切れる。

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夜はもっともっと盛り上がる。
暗くなれば、光で遊ぶ。

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カラフルが見えなくなる分、火の持つ力はやっぱり偉大。
見えないから見える。暗いから明るい。

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人がいっぱい集まってるドームがあって近づくと。

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天井から人が吊るされていて。

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せーので。

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殴り合う。

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嘘みたいな世界が嘘みたいに面白くて、びっくりした。
どこに行っても音とお酒が溢れていて。
もちろんそこには人がいる。笑顔がある。楽しい空気がある。

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みたいな感じで遊んでたら、いつの間にか空は明るくなって。
みんなが自転車で向かうその先にあるのは朝日。なんかいいなって思った。

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そんな1日の終わり。1日の始まり。

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はしゃいでは飲んで、飲んでは遊んで、遊んでははしゃぐ。
楽しくないわけのない毎日。

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そして最後にはManburnとtempleBurn。

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全部燃えておしまいおしまい。
物語らしい、さよならの合図。

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この1週間、ずっと視界にはいっていた、自分の場所を把握するのに欠かせなかったManが燃えているってのは、もちろん悲しくて寂しいけど。
達成感みたいな解放感みたいな、そんな心がふっと軽くなる感じはあって、
でもそれにぴったりの言葉をきっと僕は知らない。

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これまでバーニングマンの説明をするときに
思いっきり遊んではしゃいで最後に象徴である”Man”燃やすお祭り、
そんな説明していたけど、少し違う気がして。
“Man”が燃えるその時まで、思いっきり遊んではしゃぐお祭り、
っていう表現の方が正しいのかなって思った。

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はしゃぎました遊びました、十分これで満足したから、最後に燃やしましょう。じゃなくて。
もうすぐ燃えてしまう終わってしまう、だから思いっきりはしゃぎましょう遊びましょう。なんじゃないかなって。

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順序だった起承転結を組み立ててる余裕も必要も無くて、
あれもしたいこれもしたい、わー時間ないなー、まーいっかー全部しよーってはしゃぎあう。
お互いを思いやって、認めあって、乾杯して、笑いあって、抱き合って、またねと別れる。
きっとそういう場所、そういう時間。

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「いつか無くなるものを求めちゃいかんのだよ。
無くなるものは、求めるためではなく、
そいつで遊ぶために、この世にあるんだからな」

この言葉がすごく好きねんけど、
この言葉をお祭りにしたら、きっとこんな感じ。
だからこのお祭りもすごく好き。

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絶対楽しいと思って参加したBurningManは思った通りに楽しくて。

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途切れること無く流れつづける音楽があって
砂漠の中になんの違和感もなくアートがある。
嘘みたいに光り続ける架空の街のなか、
思い思いの格好で飲んで踊って笑って跳ねる。
すれ違い様に声をかけあう楽しさと
、奇跡的な再会に喜んで抱き合う瞬間と。
理由も無く必死でこぐのはペダル、
時々おこる砂嵐のせいでかけるのはブレーキ。
夕日がきれいに見えるのは、きっと
みんなが同じ方向を見てるから。
流れ星が絶え間なく流れる星空、
その下をゆっくり歩きながら感じるのは春と夏と秋と冬。
お酒のせいにしたくないよな夢心地の中、
思いついたこと全部口にしたところで誰にも届かない。
ふと思い出してしまうあの日の情景が、
当たり前のように目の前の景色に溶けて燃える。
気がつけば昇りだしている朝日の眩しさで、
1日の終わりにようやく気づいて眠る瞬間の心地よさ。

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全部にぐるりとかこまれて、そこで乾くまで疲れるまで飽きるまで、飲む踊る笑う。
嬉しくて愛おしくて寂しくて怖くて有り難くて物足りなくて、楽しい。

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来てよかったし、また来たい。

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もっと遊びたい。飲みたい。話したい。笑いたい。はしゃぎたい。
いつか燃えてしまう前に。

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物語みたいな。

2014年7月2日

出国458日目。
34ヵ国目ブラジルのレンソイスにいます。
雨期にだけ湖があらわれる、不思議な砂漠。

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物語みたいな設定が素敵すぎて、驚く。
セスナでびゅびゅんと上からみる、なんて小洒落たこともしながら。

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でもレンソイスで一番良かったのは、やっぱりレンソイスキャンプ。
テントを持って行って、砂漠の湖のほとりでぼんやりと。
ツアーのみんなが帰ってから次の日のツアーのみんながくるまでの、貸し切り、独り占め。

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夕日が沈んでから暗くなるまでの時間も、
満天の星空の下の静寂とそんな中での友達との会話も、
徐々に星が消えてそれと入れ違いに昇る朝日も、めっちゃよくて。

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自分たち以外には誰もいなくて、
ほんとに絵本の中に迷い込んだかのような時間。

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嘘みたいな景色と物語みたいな設定が、非現実感をぐんと後押しして、
でも自分の中からでてくる言葉にはやっぱり隠しきれない現実感が潜んでいて。

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現実も非現実も、もう片方のすぐ隣にあるからこそ際立って。
絶対に混ざることのないそれらが両側から打ち寄せる、そんな不思議な感覚。

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曖昧な境界線上を歩くように、ゆっくりと。
どちらにも転べないことに気づいて、思い切り。
マーブル模様の景色がまさにそれを表しているような、そんな不思議な時間。

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砂漠の層の下の地下水の水位が増すことで砂丘の谷間にその地下水が湧き出るから。
なんて、不思議がきちんと説明できるのも含めて、なんかいいなと思った。

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嘘みたいな世界のもつ本当のところと、本当の世界のもつ嘘みたいなところ。
それぞれから湧きでた地下水が、それぞれの砂漠に水を加えるような不思議な世界。
だから嘘も本当も嬉しくて、悲しくて、優しくて、楽しくて。

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不思議が溢れるこの世界が、とても好き。

喜怒哀楽が、映える。

2014年6月20日

出国446日目。
34ヵ国目ブラジルのナタールにいます。
W杯の日本戦を現地で観戦。

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ずっと行こうときめていたわけでもないし、
なんならサッカーに詳しいとかそういうのでもなくて。

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せっかく南米にいるねんからと、通りがかりのお祭りにふと立ち寄りました、
くらいの感じで参戦したW杯。

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日本代表としての結果は予選リーグ敗退で
それはやっぱり悔しかったけど。
でも、やっぱり来てよかったと思った。

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W杯ってこんなに興奮したっけっていうくらい、
ずっとどきどきしてたし、お祭りに溺れる感覚ははじめてで。

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自分の中から出てくる声援がその場にある熱狂に溶け込んでいく心地よさと、
心地よさとかそんなの関係なく出てくる声援と。

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どういう言葉が最適かはわからないけれど、
目の前にひろがる光景が、ここでしか行われていない現場感、
もちろん世の中のすべてがそうなんだけれど、
世界中の注目する90分が行われているその会場にいること自体の興奮はすごくて、
熱狂とか歓喜とか悔しさとか消失感とかが混じる、カラフル。

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勝ち負けってのはやっぱりあって、だからこそ嬉しいしだからこそ悔しいし。
いつかは勝ち負けがはっきりするからこそ、そこへの道のりにある喜怒哀楽が、映える。

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勝ち負けの無い世界に対する憧れだってもちろんあるけど、
それでもやっぱり、触れ幅のある勝ったり負けたりのこの世界がやっぱり好き。

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もっともっと、感情に溺れるくらいが、ちょうどいい。

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点と点との間の空白の世界と。

2014年6月3日

出国429日目。
33ヵ国目エクアドルのガラパゴス諸島にいます。

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道を歩けば亀がいて、
海で泳げばペンギンもアシカもいて、
空にはクチバシと足が青いアオアシカツオドリがいる。

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そんな噂の楽園へ。

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一番始めにガラパゴス諸島の名前を目にしたのは、
小学校の頃の国語の教科書。

ガラパゴス諸島には珍しい動物がいっぱいいて、
それはその島国の環境が、、みたいなそんな説明文やったっけな。

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そのときに強烈な憧れを抱いて、、とかそんなわけではないけれど、
それでもそんな世界があるんやーって素直に驚いた記憶はあって。

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そんなところに来たのかーってのが空港に降り立っての感覚。

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そこにはその説明通りいろいろな動物がいて。

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写真で見た通りの青い海があって、砂浜があって。

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でもやっぱりそれだけじゃなくて。
雨が降ることもあれば、普通の人の生活もあって。

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点として認識していた世界と、点と点との間の空白の世界と。

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ガラパゴス諸島は、そのどちらも楽しくて、
またいつか訪れたいなと思えたそんな場所。

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そしてそういう場所を離れるときにふと感じるのは、問題集の最後についている答をのぞき見るような感覚。
こういう全体像の中の、この部分が説明されていて、この部分があの写真で。

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写真も言葉も、どうしても切り取ることしかできなくて、
写真だけでは、言葉だけでは、その場所を正しく表現することは出来なくて。

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でもだからこそ、無責任に言ってしまえば、好きに切り取ることができて、
写真には、言葉には、個々の感情をのせることが出来る。

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そうなんだけれど、それだけじゃない。
それだけじゃないけれど、それは確かにある。

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全てを正しく捉えるだけでは面白くなくて、
だから時にぶらぶらと歩きながらその中にある感情を切り取る。

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そこには納得もあれば驚きもあるし、
楽しい気持ちになることもあれば、悲しい気持ちになることもあって。

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ひとつの点を切り取るという行為に対する違和感を感じることももちろんあるけれど、
それでもやっぱり、正しく全てを書き写すためだけに時間をすごすのはもったいない気がして。

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だから僕は写真を撮るのも、誰かの撮った写真を見るのも好きで、
文章を書くのも、誰かの書いた文章を読むのも好きで。

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そしてもちろん、
そういった色んな人の感情をのせている実際の世界を訪れるのが、とても好き。

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纏いながら、歩く時間。

2014年5月14日

出国418日目。
32ヵ国目ペルーのクスコにいます。

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夜にふと暇になってふらりと散歩。

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クスコの町は、昼だけじゃなくて夜も楽しい。
優しくて綺麗で、明るくて素敵なのはもちろん、暗い路地裏まで素敵でびっくりする。

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坂道も多くて、歩きやすい道って感じでもないけど、
それでも歩きたいって思える道。

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ほどよい石畳感と、暖かいオレンジの電灯と、落ち着いた人の少なさと。
理由はきっとひとつじゃないけど、それでもほんとに心地よい。

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ゆるりと歩きながら、すこし思い出を巻き戻して振り返り。

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南米にはいって3ヶ月。
アフリカのだだっ広い自然とか、ありえない不便さが懐かしくなったりもするけれど。
南米のこのひとつひとつの見所の洗練された感じは、やっぱりすごいなと思う。

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パタゴニアでのトレッキングも、

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チリのイースター島も、

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ボリビアのウユニ塩湖もワイナポトシも、

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ペルーのマチュピチュ、そしてここクスコの町並みも。

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それぞれの方向にきちんと突き抜けていて、
その丁寧すぎる突き抜け方に対しての好き嫌いはあると思うけど、
それでも、もっとゆっくりまわりたいなって思うところばかり。

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はらぺこあおむしじゃないけれど、
ひとつひとつの景色を食べて突き進むそんな3ヶ月。

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きれいな景色も素敵な出会いも、もちろん思い通にいかなかったあれもこれも、
全部残さずむしゃむしゃと遊ぶ。

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そしてこういう夜の散歩みたいな時間は、
あおむしが蝶になる前にさなぎになるような、
きっとそういう時間に当たるのかなと思った。

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明るい町中を、暗い路地裏を、歩く時間。
これまですごした日々を身に纏いながら、歩く時間。

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あーだから楽しいのかと納得しながら、
次の角をどっちに曲がるかわくわく考える、こんな時間が僕は好き。

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セカンドマチュピチュ。

2014年5月10日

出国415日目。
32ヵ国目ペルーのマチュピチュにいます。

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マチュピチュは言わずと知れた世界遺産。
マチュピチュには一度来たことがあるから、今回はどっちでもいいかなーって思ってたけど、
友達の誕生日を祝おーってお誘いが楽しそうすぎて、なんだかんだでセカンドマチュピチュ。

線路を歩いて、橋を渡って、気づけば暗くなって。
どうにかこうにかマチュピチュ村。

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次の日は朝からどどんとマチュピチュ。
村から30分くらいバスでひたすら山を登るとそこには緑がわーってあって、
その中をすすんでいくと、その奥に山に囲まれた遺跡があって、それがマチュピチュですよ、と。

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あいかわらず、ひっそりとどっしりと。
雄弁な沈黙、みたいな矛と盾を両手に、神秘的なんて言葉に逃げも隠れもしないで、
まだ何かと戦い続けてるみたいなその姿には圧倒される。
理由は分からないけどすこし悲しくて、でもやっぱりかっこよくて、僕はここがとても好き。

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570年くらい前にここに集落があって人々の生活があって、
なんでこんな生活するには不便な険しい場所に作ったの?
っていう疑問に対しては「圧倒する景色があったから」みたいな回答しかできないって、
めっちゃ素敵やと思うねんな。

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きれいな場所があるから、そこに集落を作る。
すごくまっすぐで、かっこいい。

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下山してからは、フランス料理でお祝いお祝い。

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一週間前にどこで何してたかがわからないような僕でも
一年前の誕生日の出来事、なんならここ数年の誕生日の出来事は覚えてるし、
誰かのそういう楽しい記憶のなかに残れるって、なんかちょっと嬉しい。

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だから僕は誰かの誕生日が好きで、だから二度目のマチュピチュにもきて。
矛と盾のその間にはいくら数えても無数の明日があるだけだから、
難しく考える必要なんてなくて、
かっこよくて、楽しいほうに進めばいいんじゃないかなと思う。

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誕生日やからマチュピチュに行く。
うん、まっすぐはいつだって、かっこよくて楽しい。

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花咲かせる春は、これからです。

2014年5月6日

出国411日目。
32ヵ国目ペルーのクスコにいます。

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サルサを教えてもらったり地元の少年にドライブ連れてってもらったり、
オリャンタイタンボやピサックに行ったり、
ゆるりとすごしながら、そろそろマチュピチュいこうかな、そんな日々。

ゴールデンウィーク中に祖父の命日を迎えて。
あれから3年。昨年と同じ投稿になってしまうけど。

四国八十八箇所巡り中に愛媛県で連絡を受けたのが、3年前。
2年前は小笠原諸島で、昨年はラオスで、今年はペルー。
相変わらず元気でやってるよと、声に出すと、
またそんなとこ行ってるんか、なんて目線をあわさず笑う祖父の顔が、ふと浮かぶ。

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3年前、夜行バスで実家から東京に帰りながら、
裏側にあることから目をそらさないと決めた。

誰かの言葉にもあの人の優しさにもおいしいご飯にも。
悲しい今日にもひとりでいるということにも涙にも。
表があれば、その裏には必ず何かが描かれている。

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僕は不幸なことに花ではなくて、
僕は幸せなことに花ではない。

だから僕はもう祖父には会えなくて、
だから僕はなんとか祖父に会えた。

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そんなことを考えながら、
寝れなくてがむしゃらに書いた日記を、今年もやっぱり読み返す。

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【花して、ほしい】

花咲く春です。

花は、咲いて、受粉して、実をつけて、種を残す。
虫や鳥を介して受粉するから、虫や鳥がよってきてくれるように、きれいに咲く。
こんな感じで、花は次の花を咲かせるためにきれいに咲くのだと、習った。

じいちゃんが畑をしていて、
きゅうりとか、トマトとか、なすとかの、花が咲いて、たぶんちょうどその時に習ったから
小学校高学年の夏くらいかなー。
あーなるほどなと納得しながら、できるだけ多くの花に水をやろうと、腕をのばして水やりしたなー。

なんにせよ、
周りを寄せ付ける為のきれいさなら、もう、まんまと。
ゴールデンウィークに四国を原付でまわってたんやけど
花が、わーって咲いていると、足も止まる、のくりかえし。

不運なことに花じゃない僕は、
まんまと引き寄せることはできなくて、一人やったわけやけど。

一人でぶらぶらしていると、いろんな考えだとか、感情だとかが、整理される。
原付でざーっと走ってると、ふと、かかえてたもやもやとかが、すっと消えていく。
それは、一人でいろいろ考える時間があるから、と思っててんけど、すこし違って。
考える、というよりは、思い出す、作業にあたるのかなと思った。

あーあの時こんなことしたなーとか、あんな会話したなーとか、こんなこと思ったなーとか、
いろいろなことを思い出しているうちに、いつのまにかいろんなことが腑におちていて。
棚に入れるために荷物をほどく、のではなく、棚を片付けて荷物をいれる、ような感覚。

花を見てまず思い出したのは、はじめに書いた畑の風景。
畑に行くぞの合図の代わりにジョウロで水をやる素振りを見せる、口数の少ないじいちゃんらしい伝え方。

それは病院でも健在で、
元気?の問いに、握りこぶしをつくった腕を曲げる。
またね。の一言に、小指をたてた手を差し出す。

あいかわらずやなーって。
口数が少ない84年の生み出した、伝え方。

次に思い出したのは、
表面に鳥の絵が、裏面に鳥かごの絵が描かれていて、
くるくるとまわすと、鳥が鳥かごに入っているように見えるコイン。

咲いて枯れるとか、
笑って泣くとか、
会って別れるとか。

たぶんそれはコインの裏表みたいなもので。
いろいろなコインの裏側には、鳥かごのような絵が描かれていて、
少し指ではじくだけでくるくるとまわり、かごにはいっているような錯覚を、いつでも作り出す。

それでもやっぱり、
枯れる運命を嘆きながら、咲くのでも、
別れを恐れて、出会いに億劫になるのでもなく、
そのコインの裏面に描かれている対価を、受け入れながら、
咲いて笑って会っていきたいと思った。

ここ何年かじいちゃんに会うたび、
「もーいつ死んでもええなー」
「やーまだまだあかんやろ」
の、やりとり。

いつ死んでもええなーと、あれだけ繰り返してたんやから、まーええんやろーけど。

幸運なことに花じゃない僕は、
祖花の咲くうちに芽をだせた。

くるくるとまわったコインが、ゆるやかな動きをへて、ぱたりと表を向いて倒れたとき、
鳥かごが見えなくなるのを、皮肉だと思うほど、悔しくはなかったけれど。

にしても、きちんと東京から帰ってきてる連休中に、旅立つのは、
強がりで寂しがりのじいちゃんらしさがあふれてて笑えた。

てか、平日でも帰るってば。孫もっと信用しろよなー。

「わざわざ東京からくるほどでもないからこんでええ」って言ってたじいちゃんが、
東京からの往復にいくらかかるのかを妹に聞いて病院の棚に3万円いれてくれてたのも、

病院で僕がいるときには「酒のみたいなー」しか言わへんくせに、
僕が帰ったあとでは「いっけいと酒のみたいなー」って母にもらしていたのも、

知ってたのにな。

根元だけに水をやるのが効率的だとは知っているけど、
時にはあのころみたいに腕を伸ばして届かぬ花にも水を。
そのあとで、伸ばした腕をそっと曲げて、元気ですと空に向けて。
ぎゅっと握りしめた拳の中のコインをポケットに送り込んだあと、
目元をぬぐった小指をまた空に。

じーちゃん、僕はまだまだ死ねへんわ。

意地でも。
花咲かせる春は、これからです。
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悲しいときに決心するな。
そんな言葉に真っ向から立ち向かうような、あの時間。

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後悔のない日々を目指しながらも、やっぱりまだまだ不安定。
思い出しながら、思い描きながら、
ジョウロにはいつだって水がはいっていて。

対価を受け入れる強さはまだ持ててないけど、
それでも、欲しいものは欲しいと、わがままを口にすることくらいは僕にもできる。
好き放題に全力疾走。やっぱり咲きたいし笑いたいし会いたい。

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意地でも。
花咲かせる春は、これからです。なんです。

それぞれの素敵な家を。

2014年4月25日

出国390日目。
32ヵ国目ボリビアのコパカバーナにいます。

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と、この写真は5年前。2009年。
卒業旅行で僕は、マチュピチュとウユニに来ていて。
その途中で立ち寄ったこの町にすごく惹かれた。

そして、再訪。これが2014年の写真。

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変わったとか変わってないとかは分からないけど、
それでもぐっと胸の奥をつかまれるような気持ちになることはあって、
その気持ちに「懐かしい」とふりがなをうって、ひとまず飲み込みながらの3日間。

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2009年のコパカバーナと2014年のコパカバーナ。

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あの頃仲間に入れてもらった寂れたサッカーコートはもうなくて、
今は新しい綺麗なフットサルコートが出来ていた。

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あの頃泊まった宿にもいってみたけれど、今は営業していなくて、
だから、なんとなくそこから一番近い宿に泊まった。

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あの頃にはなかった体育館ができていて、
23時頃までそこには子供達が遊んでいる音が聞こえていた。

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2009年の僕と2014年の僕。
僕の目にこの町の変化が映っているように、
この町にもあの頃の僕と今の僕の変化が映っているのかな。

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フットサルコートのように新しく何かを手に入れていたり
営業を辞めた宿みたいに、あの頃あったものがなくなっていたり
体育館で子供が遊ぶ音のように、新しい響きを手にしていたり。

僕は、どんなふうに変わったのだろう。

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きっと町を歩きながら心が少し揺れたのは、
懐かしかったからなんかじゃなくて、
この町の変わっているところ、変わっていないところを見て感じた、
自分の変わったところ、変わっていないところ、
その両方への不安からなんじゃないかなと思う。

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2009年の日記をふと読み返す。

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“あいもかわらず感じるのは、余地の多さで。
笑ったり、泣いたり、怒ったりする余地も。
描いたり、奏でたり、踊ったり。
かけぬけたり、立ち止まったりする余地も。
疑う余地も信じる余地もたくさんあって。

それぞれが、それぞれに。
それぞれの空間を作り上げればいいと思う。
余地が英語でroomなのも、ほんとよくできてるなーって思う。

それぞれが、それぞれに。
それぞれの素敵な家を。”

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笑ったり泣いたり怒ったり描いたり奏でたり。
繰り返しながら、やっぱり僕は生きていて。

踊ったりかけぬけたり立ち止まったり疑ったり信じたり。
繰り返しながら、やっぱり僕は生きていく。

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いつまでたってもこの余地が埋まることはなくて、
それでもこの5年間という時間を経て、きっとその部屋にはいろんなものが増えていて。

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変わるっていうのは、
部屋にあたらしい花瓶を買うとか、
カーテンの色を変えるとか、
模様替えをするとか、
なんとなく、そういうことなんじゃないかなって思う。

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いつでもそこには部屋があって、
そこでの過ごし方が変わる、そんな感じなんじゃないかな。

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ひとつ思うのは、この5年が少しでもその空間を心地よく彩っていてほしいということ。
前よりものが増えたその部屋が、少しでも居心地のいい部屋であってほしいということ。

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そこにある余地を存分に楽しめるような、そんな風な人になりたい。

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まだまだ、笑いたくて泣きたくて怒りたくて。
まだまだ、疑いたくて信じたくて。
まだまだ、繰り返したくて。

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町の景色は少し変わっていたけど、
あの頃のままの、町を見渡せる丘があって、湖があって、そこに乱雑にとめられたミニチュアみたいな船があって。
笑いかければ近寄ってくる子供がいて、丁寧に町を説明してくれる大人がいて、穏やかな空気が流れていて。
だから僕は居心地のいいこの町がやっぱり好き。

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同じように、居心地のいい部屋が僕の中にもあってほしい。
笑って泣いて怒って、描いて奏でて踊って、かけぬけて立ち止まって、疑って信じて。
変わらずに変わって。

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いろんな部屋に出入りしながら、その家での生活を存分に楽しめるような。
そんな風な部屋がいい。
そんな風に生きていきたい。

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6088m登頂。モノクロでカラフル。

2014年4月17日

出国382日目。
32ヵ国目ボリビアのラパスにいます。

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6088mの雪山登山。
ワイナポトシに登ってきました。

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はじめに断っておくと、
僕は、山登りが好きなわけではなくて。

一応、富士山は登ったことあるけど、くらいの感じで生きてきて、
なにがどうなったか、キリマンジャロに挑戦したのが去年の12月。

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吐きそうな思いをしながら登った、
その山頂にはこれまでに味わったことのない達成感があったけど、
それでもだからといって、これからも登山していこう、なんて思った訳ではなくて。

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でも、やっぱり、ワイナポトシは登らないといけない気がして。
もちろん、6000m越えにわくわくしたからってのはひとつの理由ねんけど、なんていうか。

「積み上げてきたもので
勝負しても勝てねぇよ
積み上げてきたものと
勝負しなきゃ勝てねえよ」
オールドルーキー / 竹原ピストル

どっちかっていうと、こっちの理由のほうが大きいかな。

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キリマンジャロに登ったことでなんか満足してる自分がいて、
たいして山のことも知らないくせに、
5895m、アフリカ大陸最高峰登ったからもういやろみたいな、
そんな甘えた思考を、バシンと叩くのが、きっと今の僕の役目。

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「これまで」を越えれないような「これから」はやっぱり面白くないと思うねんな。

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と、いうわけで、
2泊3日でのワイナポトシへのチャレンジ。

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1日目は氷河の上で、
アイゼン(靴の裏につける針みたいなやつ)の付け方、歩き方。
ピッケル(氷に刺さすつるはしみたいなやつ)をつかった雪壁の登り方とかの練習。

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アイゼンはまだわかるとして、ピッケルを使った雪壁登る練習ってなに。どんなとこいくの。
みたいな不安をみんな口には出さず、夜は暖炉を囲んでおしゃべりおしゃべり。

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2日目は昼過ぎにコテージ(4700m)をでてベースキャンプ(5300m)まで岩山登山。
この時点では、まだウクレレを弾けるくらい元気。

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夕食時にキリマンジャロの時と同じように、登頂アタックの説明を受ける。

今から仮眠をとって、夜中1時くらいに出発ね。
ガイドひとりにつき2人がザイルで繋がって歩くよ。
そうそう、寒さの対策しっかりね。
みたいなそんな感じ。

で、いよいよ。

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am1:00 5300m 
出発。
月明かりで光る雪山はやっぱりきれいで、
アイゼンのおかげで一歩一歩しっかり進める。
一度経験したことのある高さっていうのもあって、落ち着いたスタート。
やっぱり何でも経験しておくって大事やなーと思いながら、
この時はこれから向かう6088mの高さにただただわくわくしてた。

am3:00 5600m 
しんどいしんどいしんどい。
順調なスタートから一転、これまでに味わった頃のないくらいの頭痛と吐き気を振り切るように歩く。
あれ、キリマンジャロんときってこんなしんどかったっけって思いながら、
しんどいって口に出しても白い息となって消えてくだけって事に気づいて、
もうこうなったら、比べるのも嘆くのもやめて、現状をどんと受け入れる作戦に変更。

6088mまで登らな終わらへんってことだけは間違いなくて、
ここで諦める気もさらさらないってことを自分の中で確認した後は、
水を飲んで、深呼吸して、目の前の景色にだけ意識を集中させる。

しんどいのも、頭痛いのも、吐きそうなのも、全部どんと背負い込んで歩く、そんな時間帯。
モハメッド・アリの言葉をかりるなら、
「わざとボディを打たせるんだ。打たせたボディは痛くない。」そんな感じ。

am4:30 5800m 
ふと体が軽くなる。
雪山に体がなれてきたのか、全部を背負い込む作戦が成功したのかはわからないけど、
まだまだ歩ける、なんなら走れる、そんな気分になって。
この感じが続けばきっと登頂できるんやろなって思って、それがまた力になる、そんなプラスの流れにストンと乗り込む。
月がきれいで、その月に照らされる雪面に、アイゼンの音と自分の呼吸が溶けていく。
いろんなものを吸収しながら、それでも白く輝く雪のすごさに、すこし憧れる。

am5:30 6000m 
山頂まで100mをきったくらいから、一歩一歩が、また重くなりだす。やっぱり6000mは手強い。
もうすこしゆっくり、と思っても、今回は3人がザイルで繋がっている状態。
しかたなく、無理してスピードをあわせて歩く、そんな時間帯。
と、ここで気づいたのは、思ってたより辛くない、っていうこと。
ゆっくり歩けば進める、これはキリマンジャロの経験から知っていること。
でも、自分が思うゆっくりよりも少し早い今のスピードでも、問題がなさそうで。
無理をするのがいいこと、ってわけではないけど、
それでも、自分でひいている勝手な限界線は、大抵手前にあることを再確認。

am6:00 6088m
最後の100mくらいは、ほんとに人ひとりがぎりぎり歩けるような幅の道。
もうこの時は、疲れたとか頭が痛いとか吐きそうとかそんな感情はどこかへいってしまっていて、
ただただ足元を、その両サイドの崖を、前を歩くパートナーを、その先にみえる山頂を、
順番に見ながら歩いていた。

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6088mに辿り着くまで終わらない、と思いながら歩いていた時間帯から3時間。
一秒でも早く辿り着きたいけれど、もう少し続いてもいいなと思う気持ちもあって。
簡単に終わらせるにはもったいないような、景色と感情。

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せめてもと目に焼き付けながら、心に染み渡らせながら、歩く。
そして、登頂。6088m。
気がつけば両腕は空に伸びて、ガッツポーズ。パートナーとガイドとハイタッチ。
やっぱりこの瞬間はたまらなく好き。

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登ってよかった。
山が好きってこういうことか、ってのが少し分かったかもしれない。
ってのは、キリマンジャロのときと同じ結論。

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でもほんとうに登ってよかった。

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もう一度言っておくと、
僕は、山登りが好きなわけではない。

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しんどいの苦手やし。登ったら降りなあかんし。
それでもやっぱり、あの山頂での感覚はたまらなく大好き。
あの景色も、あの感情も、思い出しただけですこし震える。

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音が消える雪山を、色が消える夜に登る。
なにも聞こえなくてなにも見えなくて、
だからこそ、そこにある世界はきれいな和音のように広がる。
雪山登山はやっぱり、モノクロでカラフル。

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さてさて、5895m に続いて6088mも登頂成功。
もちろん、調子に乗る気なんてさらさらないけど。
越えれるもんなら越えてみろよ、と、これからの僕を見る。

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「これから」に簡単に越えれるような「これまで」を積み重ねてるつもりはないから。

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楽しみが、またひとつ増える。
負けるなよー、これからの僕。

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