気がつけば全力で自転車をこいでいた。
出国200日目。
20カ国目エジプトのルクソールにいます。
スーダン行きのフェリーが週に1便しかないよとか、
しかもそのフェリーの乗船率300%くらいだよとか、
スーダンビザ先にとらないとチケット買えないよとか、
でも今週は犠牲祭といってエジプトのゴールデンウィークみたいなもんだよとか、
だからスーダン大使館あいてなくてビザとれないよとか、
いろんな噂を聞きながら。
どうしようもないことは、どうにかなるタイミングまで待つしかないので、
ゆるりとエジプトを南下することに。で、ルクソール。
ぶらぶら歩いた1日目と、車でまわった3日目。
その間の2日目は自転車で対岸までびゅびゅんと。
どうしようもないことを振り切りたい時の僕の行動あるあるねんけど、
気がつけば全力で自転車をこいでいた。
あれこれ見たり話したり撮ったり。
だんだん暗くなってきたから、そろそろ帰ろうかなと思ったところで、
がくんと自転車が重くなった。この感覚も久しぶりやな、パンク。
どうしようかなと思いながらとりあえずは自転車を押して歩く。
すこし歩いたところで声をかけられて。
物売りかなにかかなと思ってそのまま笑って通り過ぎようとしたけど。
でもよく考えたら、町まで自転車を押して帰れる距離でもなくて。
助けてもらうしかないなーと、下心満載で、くるりと振り向きあれこれ話す。
結果、すごくいい人で、自転車のタイヤを持ってあちこち走り回ってくれて、ばっちりなおしてくれたうえに、
10ポンドかかったけど、別にお金いらないよ、ルクソール楽しんでね。と。
帰り道、自転車をこぎながら、
ありがたいな、こうありたいな、と思いながらも、悶々と。
世界一周中の信じること疑うことについて。
僕は、信じるのが偉い、とか、信じないといけない、とは思っていなくて。
「信じる」に容易に逃げ込むのはやっぱり違うと思うし、
しっかり判断したうえで、それでも最後に逃げ出せるような一歩の余裕を残すくらいじゃないといけないと思っている。
じゃあ疑いっぱなしでいいのかと聞かれると、それはそれでと言葉につまるねんけど。
疑ってあまり話もせずに通り過ぎることって国によってはよくあるねんけど、
やっぱりどこかで苦しくて、今回みたいに結果疑う必要のなかった、そんな時はさらに心が痛くなる。
もちろん、白か黒かみたいなそんな単純なことじゃないし、
その向き合い方に良いも悪いもないと思うけど、
でも、なんとなく、仕方ないと思いながら見過ごすのもすこし違うなと思っていて。
かといって、じゃあ僕はこうします、そんな凛とした姿勢を持つことはまだまだできていなくて。
結局僕は、都合のいい「信じる」を振り回して、きっとこれからも生きていくんやろな、と。
気がつけば全力で自転車をこいでいた。