また僕は僕になっていた。
出国213日目。
22カ国目エチオピアのバハルダールにいます。
国境の町ゴンダールで一息ついたあと、
タナ湖のそばの小さな町バハルダールへ。
湖に浮かぶ修道院でわくわくしたり、
ブルーナイルの滝にどきどきしたり、
生肉を食べて生ビールを飲んで楽しくなったり。
ぐんと胸をつかまれるような、自然があって
ぽんと背中をおされるような、笑顔があって。
そしてそれを当たり前として生きる人の、生活があって。
ブルーナイルの滝のそばまで近づいたとき、
その水しぶきでまるで滝に落ちたかのようにびしょ濡れになって。
きっと世界一周でいろいろな国を訪れるのってこんな感じなんじゃないかなと思った。
どこまでいっても僕は旅行者でしかなくて、
でもなんとか見たくて聞きたくて知りたくて、
近づいて水しぶきをあびて滝の中に入ったかのような錯覚に浸って。
でもやっぱりそのまま山道を歩いて町に着くころには、からりと乾いて、また僕は僕になっている。
水しぶきの中に虹をみたり、
びしょ濡れになって風邪をひいたりしながら、
勝手に満足したり不平をこぼしたりしては、また次の滝を探す。
びしょ濡れになって歩く帰り道に思い出したのは小沢健ニさんの言葉。
「それで僕らは、音楽を聴いたり、小説を読んだりするのですが、
それが本当に酔わせるものの場合、その源では、作者はものすごい破壊的なエネルギーというか、
毒のようなものを抱えこんでしまっていると思うのですよ。
それがなんとなく薄まって届いてくるから、甘い香りがするというか。」
滝の中に飛び込むことができない以上、
源にある毒のようなものを実際に感じることなんてできなくて。
だからやっぱりどこまでいっても無責任なんだけど、
きっとそれが世界一周が楽しい理由でもあって。
でもなんとかその水しぶきから少しでも想像したいものがあって、
そこには、虹のような彩りも風邪をひくような苦しみも伴う必要はないんだけど。
水しぶきの中で目を閉じながら、あちらこちらに空想はひろがって、物語が次々と湧きだして、
色も温度も匂いも世界までも手に入れたそれが、滝のように溢れ出す。
そのころ、源流にいる僕は、何を抱えているんだろう。
なんて考えながら町についた時には、からりと乾いて、また僕は僕になっていた。