先取って、きれい。
出国233日目。
22カ国目エチオピアのジンカにいます。
自然いっぱいのエチオピア北部を満喫して、
いろいろな民族がいるエチオピア南部へ。
全ての村をまわらなくても、いくつかの村のマーケットをまわれば
いろんな民族見れるよ、ってことでジンカ村を拠点にふらふらすることに。
ジンカ村は何もないところ。ゆっくりと、よい時間。
ジンカ村のマーケットにはどの民族もきてなかったけど。笑
トゥルミ村で行われているマーケット。
ハマル族はカラフルで素敵。
オモ国立公園にあるムルシ村。
子供かわいい。
大人かっこいい。
ムルシ族の女性は、唇に土器で作った皿をはめ込む習慣があるみたい。素敵。
ウクレレと子供。
いろいろな民族を見る中で、
その外見や日常の違いは、抱えている秘密みたいなものの違いなんじゃないかなって思った。
それぞれの民族が、歴史の中にそれぞれの秘密を持っていて、
でも秘密は秘密として抱え込みながら、それぞれの文化として表現する。
だから違うのは当然で、かっこいいのは当然で。
もちろん、それは、民族だけではなく、僕達ひとりひとりに言えることでもあって。
僕達も、それぞれのこれまでの中にそれぞれの秘密を持っていて。
それぞれの秘密を抱え込みながら、それぞれの美学として表現する。
その美学は時にプライド、みたいな言葉でも表されることもあると思うねんけど。
秘密は秘密であるから、かっこよくて。
それが文化として、美学として、昇華されて表現されるのは、とても素敵なことな気がするねんな。
でもやっぱり、秘密にしておくことが疎ましくなって、
もうみんなに打ち明けてしまいたい、そんな風に思う時もあって。
「もういいや。」と種明かしをしてしまいたいそんな時に大切なのは、
ぐっとこらえて歯をくいしばって、みんなに見せたいその種を土に埋めて、毎日水をやることなんじゃないかなと思う。
いつの日か、花として咲かせてみせるくらいの意地は、きっと持っていたほうがいい。
いつの日にか咲くということを知っているその種は、先取って、きれい。
大切に抱え込んでいるその人を輝かせるには、十分に、きれい。
「ド」の音で。
出国221日目。
22カ国目エチオピアのダナキルにいます。
ちはやふる、という競技カルタを題材とした漫画がある。
競技カルタっていうのは、百人一首の上の句を聞いて、下の句のみ書かれた札をとりあう競技。
札は全部で100個しかないので、全てが読まれなくても、数文字だけ聞けば札を穫ることができて、
その文字数によって、一字決まりや二字決まりなんて呼ばれ方もされてるねんけど、
札がどこにあるかの記憶力と音が聞こえてからの瞬発力が試される、そんな競技。そんな漫画。
知らない世界ってのはやっぱり興味があって、面白くて、思わず一気に読みふける。
そんな夜更かしから、一夜明けて、ダナキルツアーへ。
ダナキルは「さらば地球、そして金星よこんにちわ」そんなキャッチフレーズで紹介される、
地球上で最も過酷な場所といわれている場所で、もちろん、ここも知らない世界。ドキドキ。
知らない世界ってのはやっぱり興味があって、面白くて、思わず一気に。
とはいかず、ダナキルツアーは3泊4日でじっくりと。
泊まるところはこんな感じ。夜空ベッド楽しい。
ダロールと呼ばれる溶岩台地。ドキドキ。
塩湖。夕日のタイミングで風が止む素敵。ドキドキ。
世界的にも数少ない恒常的な溶岩湖のあるエルタアレ火山。
夕ご飯後に火山を登って夜中前に火口へ。
煙とか刺激臭とか、そんなことより、ここでもドキドキ。
なんていうか、やっぱり世界は、ドキドキすることであふれていて、
もうこれから先こんなにドキドキすることなんてないんじゃないかな、
なんていう瞬間的な思考を、瞬間的な思考として流すには十分なドキドキが、次から次へと現れて。
そうなってくると今の僕に必要なのは、ドキドキの「ド」の音で動けるかどうか、その瞬発力なんだろうなと思う。
百人一首じゃないけれど、聞こえてくる音の中から、ドキドキする音に反応したい。
もちろん、そのあとドキドキ、と続くかどうかはわからないんだけれど。
それでも、やっぱり動きたいな。
早い者勝ちではないんだけど、それでも、はやく穫りたい。瞬発力が欲しい。
どの音も、ドの音に聞こえる毎日はやっぱり楽しくて。
たくさん並んだ札の前に正座して、次に読まれる札に耳をすます。
好きな歌が詠まれるかもしれない。次に聞こえてくるのはまだ聞いたことのない音かもしれない。
そんな時間がすごく好き。
そんな時間が流れる今がすごく好き。
めまぐるしくドキドキの押し寄せる毎日の中で、
ようやく出会えたドキドキがいつのまにかなくなってしまっていたりすることだってあって。
なんていうかそれは、まるで雲に隠れてしまう月のようで。
みたいな歌も、百人一首にはあって。
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな / 紫式部
これも一字決まり。
音が聞こえたなら、動けばいい。
天国にラバで行く。
出国216日目。
22カ国目エチオピアのラリベラにいます。
山の上の小さな町、そんな感じ。
町をぶらぶらするには、坂道が多いけど、それでもやっぱり歩いてしまうような、素敵なところ。
早起きして世界遺産のラリベラ岩窟教会のひとつギオルギス教会へ。
岩を掘って作られた十字架とそれを拝む人と。雰囲気があってとてもよい。
なんでもない広場があって、さすが小さな町やなーと思ってると。
土曜日には大きなマーケットに。
人が集まって、売ったり買ったりしていて。
ヤギってそういう風に連れて歩くのか。
お祭りみたいに見えるけど、でもその場所には確かにそこで暮らす人々の生活があって。
これだけ人が集まっているのに騒がしさのようなものを感じなかったのは、
そこが非日常としての発散の場所ではなく、地に足をつけた日常の一場面だからなんだろうなと思った。
ラリベラには天国に最も近い教会があるよ、って聞いていて。
よく聞く謳い文句やなーなんて思いながら行くかどうか迷っていると。
ラバに乗って2時間くらいでいけるよ、って聞いて。
天国にラバで行くことなんてきっとこの先ない気がするなーと思って行くことに。
ひろい。きれい。すごい。
ここで感じたのもやっぱりこの土地にある日常で。
何かを繰り返して続けていく様の力強さってのはやっぱりあるような気がした。
ここに住む人の日常が集うマーケットと、天国に最も近い教会と。
その間にはラバに乗って2時間くらいの山道が会って。
ラバに乗りながらの帰り道、なんとなく、天国ってそのくらいのところにある気がした。
進むスピードは、早くすぎず、遅すぎず、かといって歩くのも少し違うし。
ラバに乗って、くらいがちょうどいいと思う。
あれこれ思い出したり考えたりしながら気がつけば着いている。
映画1本分見るくらいのイメージでだいたい2時間、くらいがちょうどいいと思う。
当たり前に答えあわせなんてできないけど。笑
でも、僕の中ではそういうことにしようと思う。
なんていうか、よくわからないものの答えをひとつひとつ解答用紙に書いていく毎日は、
昔の人が星を見ながら星座を決めていったように、意味はなくてもきっと必要な気がしていて。
それを繰り返すことで僕自身の日常を作っていきたいと思うし、その結果、
坂道が多いけど、それでもやっぱり歩いてしまう、そんな毎日になればいいなと思う。
また僕は僕になっていた。
出国213日目。
22カ国目エチオピアのバハルダールにいます。
国境の町ゴンダールで一息ついたあと、
タナ湖のそばの小さな町バハルダールへ。
湖に浮かぶ修道院でわくわくしたり、
ブルーナイルの滝にどきどきしたり、
生肉を食べて生ビールを飲んで楽しくなったり。
ぐんと胸をつかまれるような、自然があって
ぽんと背中をおされるような、笑顔があって。
そしてそれを当たり前として生きる人の、生活があって。
ブルーナイルの滝のそばまで近づいたとき、
その水しぶきでまるで滝に落ちたかのようにびしょ濡れになって。
きっと世界一周でいろいろな国を訪れるのってこんな感じなんじゃないかなと思った。
どこまでいっても僕は旅行者でしかなくて、
でもなんとか見たくて聞きたくて知りたくて、
近づいて水しぶきをあびて滝の中に入ったかのような錯覚に浸って。
でもやっぱりそのまま山道を歩いて町に着くころには、からりと乾いて、また僕は僕になっている。
水しぶきの中に虹をみたり、
びしょ濡れになって風邪をひいたりしながら、
勝手に満足したり不平をこぼしたりしては、また次の滝を探す。
びしょ濡れになって歩く帰り道に思い出したのは小沢健ニさんの言葉。
「それで僕らは、音楽を聴いたり、小説を読んだりするのですが、
それが本当に酔わせるものの場合、その源では、作者はものすごい破壊的なエネルギーというか、
毒のようなものを抱えこんでしまっていると思うのですよ。
それがなんとなく薄まって届いてくるから、甘い香りがするというか。」
滝の中に飛び込むことができない以上、
源にある毒のようなものを実際に感じることなんてできなくて。
だからやっぱりどこまでいっても無責任なんだけど、
きっとそれが世界一周が楽しい理由でもあって。
でもなんとかその水しぶきから少しでも想像したいものがあって、
そこには、虹のような彩りも風邪をひくような苦しみも伴う必要はないんだけど。
水しぶきの中で目を閉じながら、あちらこちらに空想はひろがって、物語が次々と湧きだして、
色も温度も匂いも世界までも手に入れたそれが、滝のように溢れ出す。
そのころ、源流にいる僕は、何を抱えているんだろう。
なんて考えながら町についた時には、からりと乾いて、また僕は僕になっていた。
子供は散らばって点を描く。
出国208日目。
21カ国目スーダンのハルツームにいます。
何もない町、かどうかすらわからないくらい、
特にどこにいったわけでもないねんけど。
それでも、なんかいいなあ、と思った、そんな町。
毎週金曜日、広場にみんなで集まって踊って祈る
ジキルダンスというのがあって。
ばらばらと人が集まって、
ばらばらと始まって、
ばらばらと終わる。
大人が集まって輪になる中、
子供は散らばって点を描く。
うん、素敵。
スーダンは人がいい、そんな話を聞いていて。
確かにそうだと思う。
挨拶をすれば笑顔で答えてくれるし、
なにかにつけてお金を請求してくることもないし。
でも、少しひっかかるのは。
スーダンは人がいいよっていうみんなの話を聞いたから、
僕もそう思うようになったような気がしていて。
それは、単純に情報を鵜呑みにしました、ってことではなくて。
この国は人がいい、っていうのを聞いたうえで、その国の人に接する時、
やっぱり笑顔で接するし、そうすると、相手も笑顔で返すんじゃないかなって。
もし他の国でもこういう接し方をしていたら、その国でも笑顔が返ってきたんじゃないかなって。
情報を集めるなかで、いつのまにか自分の感情まで誰かに作られているんじゃないかと思うことあって。
こういう歴史があって、人口はこのくらいで、こういう交通手段がある。という事実。
ご飯がおいしくて、人が優しくて、宿がすごしやすい。という感情。
もちろん完全にわかれているものではないけど、でもしっかりと線は意識していたいな。
事実はしっかりと知って、感情はじっくりと整理したい。
すべてをポジティブに捉える必要はないと思うけれど、
先走った情報だけで片側だけの感情をなぞるのは、やっぱり違う。
完全にフラットの状態で、なんてたどりつけない理想に溺れるわけではなく、
なんていうか、感情のきっかけがある、ということをきちんと意識したうえで、
捉えて感じて考えていきたいなと思った。
修学旅行の夜みたいな作戦。
出国206日目。
21カ国目スーダンのワディハルファとハルツームの間の砂漠にいます。
アスワンからフェリーで18時間かけて、お昼前にスーダン側の国境の町ワディハルファへ。
ひさしぶりの、ほんとに何もない感じが、すごくいい。
ここスーダンでは入国3日以内に滞在登録をする必要があって、
それとは別に町ごとに滞在登録をしないといけない、ということで。
いろいろな町に立寄りたい気持ちはあるけど、時間や手間を考えて、とりあえずいっきに首都のハルツームまで移動することに。
15時出発のミニバンでガタゴトと進む。
8時間で着くよと言われていた、その8時間後には、まだ半分しか進んでなくて。
あれ。アフリカすごい。
まあ仕方ないか、朝に着くならいいか、と思っていると、突然停車。
窓の外をみると、パトカーのようなものが停まっていて、警官らしき人と運転手がもめていて。
どうやら、ここスーダンでは夜行バスは禁止されていて、それを注意をされたらしい。
どうするのかなーと思っていると、再び動き出して、ああどうにかなったのかなと思っていると、砂漠のようなところでまた停車。
なんでも、とりあえず警察をやりすごして、パトカーがどこかに行ったらまたこっそり走り出す作戦みたい。
なにその修学旅行の夜みたいな作戦。笑
うん。アフリカすごい。
で、30分くらい待って、まあもういいでしょうってことで、走り出した5分後。
パトカーとすれ違う。
もちろん、停車。
その結果。
もう絶対朝まで車動かすなよ、ってめっちゃ怒られたから、今日はここで野宿だよ、と。
なるほど。アフリカすごい。
そんなスーダン初日。
思い通りに進んでいないのにこんなにわくわくするなんて。
いや、ほんとに。アフリカすごい。
空を飛ぶか、炎を吹くか。
出国203日目。
20カ国目エジプトのアスワンにいます。
ルクソールから電車で3時間程度、10ポンド(130円くらい)で、アスワンへ。
ここアスワンに来たのは、スーダン行きのフェリーに乗り込むため。
ってのと、あともうひとつ理由があって。
どん。アブシンベル宮殿。
アブシンベル宮殿はラムセス2世の時代に作られた岩窟神殿。
ナイル川のダムの建設により水没するかもみたいなピンチを、場所を60m移動することでなんとか危機を免れた、そんなところ。
移動させようってのもすごいけど、その移動方法が、細かく切って運んでまた組み立てるっていうレゴブロック的な発想なんすごい。笑
ちなみに、この大掛かりな移転工事がきっかけになって、ちゃんとこういうのは守っていこうよって世界遺産ができたの、もっとすごい。笑
うっすら切れ目見える。
大神殿の前に並んでいるのはラムセス自身の像。
いや、めっちゃでかいし、いっぱいあるし、どんだけ力もってんねんってなって。
神殿の奥にはラムセス2世の像、エジプトの神々の主神であるアメン・ラー神、太陽の神ラー・ホルアクティ神、闇の神プラハ神の4体の像が並んでいて、
いや、神様のなかでもけっこうすごいとこと肩ならべてるって、どんだけ力もってんねんってなって。
さらに年に2回だけラムセス2世が生まれた日と王に即位した日に、神殿の奥の像4体のうち3体に光が当たるように計算されていて、
なんで1体だけ光があたらないかっていうと、プラハ神は闇の神やから、みたいな話があって。
いやなにお洒落なからくりまで差し込んでんねん、どんだけ力もってんねんってなって。
さすがに気になってどんな人やったんか調べてみると、
111人の息子と69人の娘がいて、
古代エジプト人の平均寿命40歳のときに、90歳まで生きて、
世界で最初に平和条約を結んで、
ミイラの劣化防止措置を受けるためにフランスへ一度運ばれたときにミイラやのにパスポートが発行されて、
しかもその職業欄にはファラオって書かれている、そんな人。
いや、すごすぎる。笑
その真偽はわからないにしろ、これだけ飛び抜けたすごさを見せつけられると、
どきどきするし、負けてられへんなってなる。
それはラムセス2世みたいになりたいってことではなくて、
なんていうか、それは無理やろみたいなことを、
どどどどど、と勢いで作り上げていくのって、めっちゃかっこいいと思うねんな。
ふと、タモリさんの言葉を思い出した。
「若いときはみんな自分のなかに龍を飼っていて、年をとるにつれてそいつがトカゲだって気づくんだよ。」
20代も終わろうとしてる今。
自分が龍だと思って飼っているそれが、空を舞わないことも、炎を吹かないことも、気づいてはいて。
それでもどこかで、でもなにかあるやろ、みたいな期待感は捨てきれてなくて。
トカゲと認める大人より龍を描いている子供のほうがかっこいいと思ってしまうあたり、僕はまだまだ子供なんやろうけど。
でもやっぱり、龍やと思っていたいねんな。
自分を騙すっていう逃げ方ではなくて、どちらかというと育てきってやるっていう諦めの悪さに近いねんけど。
どどどどど、と滑走路を走りきってしまえば。
その先は、空を飛ぶか、炎を吹くかしかないと思うねんな。
うん、龍飼ってたほうがモテそうやし。
気がつけば全力で自転車をこいでいた。
出国200日目。
20カ国目エジプトのルクソールにいます。
スーダン行きのフェリーが週に1便しかないよとか、
しかもそのフェリーの乗船率300%くらいだよとか、
スーダンビザ先にとらないとチケット買えないよとか、
でも今週は犠牲祭といってエジプトのゴールデンウィークみたいなもんだよとか、
だからスーダン大使館あいてなくてビザとれないよとか、
いろんな噂を聞きながら。
どうしようもないことは、どうにかなるタイミングまで待つしかないので、
ゆるりとエジプトを南下することに。で、ルクソール。
ぶらぶら歩いた1日目と、車でまわった3日目。
その間の2日目は自転車で対岸までびゅびゅんと。
どうしようもないことを振り切りたい時の僕の行動あるあるねんけど、
気がつけば全力で自転車をこいでいた。
あれこれ見たり話したり撮ったり。
だんだん暗くなってきたから、そろそろ帰ろうかなと思ったところで、
がくんと自転車が重くなった。この感覚も久しぶりやな、パンク。
どうしようかなと思いながらとりあえずは自転車を押して歩く。
すこし歩いたところで声をかけられて。
物売りかなにかかなと思ってそのまま笑って通り過ぎようとしたけど。
でもよく考えたら、町まで自転車を押して帰れる距離でもなくて。
助けてもらうしかないなーと、下心満載で、くるりと振り向きあれこれ話す。
結果、すごくいい人で、自転車のタイヤを持ってあちこち走り回ってくれて、ばっちりなおしてくれたうえに、
10ポンドかかったけど、別にお金いらないよ、ルクソール楽しんでね。と。
帰り道、自転車をこぎながら、
ありがたいな、こうありたいな、と思いながらも、悶々と。
世界一周中の信じること疑うことについて。
僕は、信じるのが偉い、とか、信じないといけない、とは思っていなくて。
「信じる」に容易に逃げ込むのはやっぱり違うと思うし、
しっかり判断したうえで、それでも最後に逃げ出せるような一歩の余裕を残すくらいじゃないといけないと思っている。
じゃあ疑いっぱなしでいいのかと聞かれると、それはそれでと言葉につまるねんけど。
疑ってあまり話もせずに通り過ぎることって国によってはよくあるねんけど、
やっぱりどこかで苦しくて、今回みたいに結果疑う必要のなかった、そんな時はさらに心が痛くなる。
もちろん、白か黒かみたいなそんな単純なことじゃないし、
その向き合い方に良いも悪いもないと思うけど、
でも、なんとなく、仕方ないと思いながら見過ごすのもすこし違うなと思っていて。
かといって、じゃあ僕はこうします、そんな凛とした姿勢を持つことはまだまだできていなくて。
結局僕は、都合のいい「信じる」を振り回して、きっとこれからも生きていくんやろな、と。
気がつけば全力で自転車をこいでいた。
ぶっ飛ばしていきます。
出国193日目。
20カ国目エジプトのカイロにいます。
「さて、いよいよ。」って言葉が好きでよく使ってるねんけど、
その中でも一番のいよいよなんじゃないかな。
しばらくゆるりと過ごしていたのもあって、久しぶりにすごいわくわくしてる。
情勢的には不安定で、すごく迷ったけど、でもやっぱりどうしても譲りたくないなと思った、
そのあと少しして、ああこういう感情久しぶりやなとすこし嬉しくなって。
どっちでもいいなと思うことがほとんどの毎日の中で、
曲げたくない自分がいることに気づいたなら、もうその背中をどんとおして、乗っかるしかないと思う。
と、いうわけで。
アフリカ縦断します。
うん、わくわくしかしてない。どきどきしかしてない。
ずっと成し遂げたかった夢、とかそんなんじゃないけど。
でもやっぱりいつかは行こうと思ってたし、
世界一周にでたときに、そのいつかがそう遠くない明日だとは感じていて。
ようやく。
って言葉が適切かどうかはわからないけど。
アフリカ縦断出発の都市、カイロにつきました。
これから4ヶ月くらいかけて、南アフリカ共和国まで、ぐんぐんと。
未知すぎる。楽しみすぎる。
がらがらのピラミッドをぶらぶらしながら、この先のことを考えていて。
すれ違った観光客は5人くらいで、なんかあれ僕だけ違う時空にきたっけくらいのそこは、
これからの4ヶ月を見据えて、靴ひもを締めなおすにはちょうどいい場所で。
ふわふわと思い出したり企んだりしながらぶらぶらと歩く。
面白がったり怖がったりしながら、他人事のように自分事を描く。
とんと、ジャンプして、無重力感を。そんな出発地点。
どんと、着地して、重力感を。そんな出発時間。
天秤にのせるものはいっぱいあって、
まあでもとりあえずは、駆け出したくなる衝動に素直に、全力疾走。
今はそれでいいんじゃないかなと思っています。
と、スターティングブロックに足をつけたところで。
うん、やっぱりこの言葉がしっくりくるな。
「さて、いよいよ。」
ぶっ飛ばしていきます。
ショートケーキの苺を。
出国182日目。
19カ国目スペインのバルセロナにいます。
ショートケーキの苺を最後まで残していたのはいつまでやったっけな。
と、いつかの記憶を掘り起こす。
「そんなに最後まで残してる人初めて見た。」
そんな台詞を覚えているから、少なくとも大学2年生まではそうだったんだと思う。
最後に楽しみをとっておいた方がより長く楽しめるから、そんな理由ではなく、
なんとなく、そういうもんだと思っていたし、
苺の乗っていないショートケーキ、っていうのがなんだか違うような気がしていた。
じゃあどうして最後まで苺を残さなくなったのかというと、
いつ死ぬかわからないんだから楽しいことを優先しないと、そんな理由ではなく、
なんとなく、最後まで残されている苺、っていうのがなんだか違うような気がしたからで。
苺の乗っていないショートケーキ、も、
苺だけ残っているショートケーキ、も、なんとなく違和感があって。
だからその両方にならないように、ばれないようにこっそり苺を食べていた。
と、いうわけで。
最後まで残されてる苺じゃないけれど、
最終日にようやくこっそり行ってきました、サグラダファミリア。どん。
めっちゃよかった。
当たり前のように、当たり前じゃない設計がされていて。
まだ完成していないっていうのも含めてすごくどきどきした。
曲線の建物を、直線の機械が組み立てていて。
夜は夜でかっこよすぎる雰囲気。モテそうなにおいがぷんぷんする。
バルセロナ、すごい。
サグラダファミリアもグエル公園もほんとによかったし、
ガウディの手がけた作品が町中のいろいろなところにあるこの町はほんとに楽しい。
週末だけ行われる噴水ショー。
遊園地にいるような感覚が町中で普通に味わえるのっていいなと思う。
曲線の建物が突然現れる、のはやっぱりガウディの仕業。
こんな風に、町中のいろいろなところに違和感が潜んでいて。
でも、その違和感までもまるっと飲み込んでいるこの町は、やっぱり素敵だと思う。
淡々と組み立てる。1+1で2を作る。そういうすごさはやっぱりあるんだけど、
振り返らせてやろうと虎視眈々と狙いすます。そういう企みが、覚悟が、僕はとても好き。
楽しかったなバルセロナ。
友達に会って、おいしいご飯を食べて、ワインもビールも飲んで、行きたい場所に行って。
たくさん贅沢したヨーロッパも、この町でおしまい。
あまりに刺激的な町で、句点としては違和感があるけど、
でもなんとなく最後がこの町でよかったなと思った。
違和感を避ける必要なんて、なかったのかもしれない。