世界と旅とこれからの話。
1061日、80ヶ国。
それぞれの数字のダイヤルをあとひとつまわして、明日、僕の旅は終わる。
東南アジアから、フィリピンの語学留学を経て、インド、中東へ。
ヨーロッパではトマト祭や泡パーティーに参加して、スペインの巡礼路を歩いた。
アフリカ縦断の途中、民族に会い、火山を見て、サファリへ行き、キリマンジャロに登った。
南米ではウユニ、マチュピチュ、パタゴニア地方やイースター島、ガラパゴス諸島をまわり、アマゾン川をハンモック船でくだって入国したブラジルではW杯を観戦した。
アメリカではバーニングマンに参戦し、その後ロスで購入したバイクで中米を縦断、再びロスまで戻りアメリカを横断した。
2度目のヨーロッパでは東欧、北欧を中心に20ヶ国をまわり、ロシアにも行った。
コーカサス地方から中央アジアへぬけパミール高原をこえ、
途中強盗に全ての荷物を奪われ手ぶらの旅になりながら、それでも旅は続いた。
最後に帰ってきたアジアでは中国やミャンマーの自然に心を掴まれ、
パンガン島でのカウントダウンパーティーや台湾のランタン祭にも参加し、エベレストにも登った。
振り返るといろいろあったなとは思うけれど、ほんとにあっというまの3年で。
うまくいくことばかりではなくて、悲しいこともつらいときもあったけれど、
それでも、どうだったと聞かれれば、楽しかった以外の返答は思いつかない。
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世界は美しくて、人は優しい。
そんな風な文章でこの旅を終えるんだろうなと思っていた。
でも、実際はそんなことはなくて。
薄暗い路地裏では怒鳴りあう声が響き、裸足の子供がマネー、マネーと袖を引く。
高層ビルの隙間にすら、家を持たない人の生活はあり、
ゴミと埃にまみれる穴だらけの道路で、小学生にもならない子供が煙草を売り歩く。
人の気持ちを考えず、味方のふりして搾取する。
相手のルールに土足で上がりこんで、勝手な正義を振りかざす。
自分の傷には敏感なくせに、他人の痛みは見て見ぬふりで受け流す。
失望もしたし、無力さも痛感した。
それでも続けた旅の中で気づいたのは、
すべての世界が美しくある必要はないのかもしれないということ。
見たくない景色もあったけど、そこには忘れられない景色もあった。
色も音も消えた真夜中のキリマンジャロを月は優しく包み、
朝日に照らされフィッツロイは少しの間だけ赤く輝く。
緑に囲まれたトンネルにその名の通り愛があふれ、
時間軸までこえたように錯覚させる街にクラッシックカーが映える。
砂漠に1週間だけ現れる光の街は最後は燃えて崩れ、
何百年も前からある遺跡はその立ち姿で歴史を語る。
黄色の矢印に導かれてたどり着いたゴールにはスタートがあり、
青空の下どこまでも続く道をバイクで走り抜ける心地よさには続く喜びがある。
燃えるマグマの熱気が喉を乾かせ、
降り続ける雨が真っ白な大地に鏡を作る。
山間に赤い花が咲いたように広がる街で人は祈り、
キリンがサイがライオンが目の前を走り抜けていく。
無人島では海中で夜光虫が流星群のように瞬き、
満月の夜にだけヴィクトリアの滝には虹があらわれる。
それが全てでなくても、美しい世界はあった。美しい景色は日常に潜んでいた。
人も同じで。傷つくことはあったけど、救われることもあった。
ロスの空港のベンチで悩んでいるときに道を聞かれて案内したあと、
別れ際に、どうして見るからに旅行者の僕に声をかけたのとたずねると、
元気がなさそうだったから話しかけてみたのよ、と笑って答えるおばあちゃんがいた。
ドイツのスーパーで、バナナとトマトのどちらを昼ごはんにするか悩みに悩んで、
結局トマトを2つだけ買って店を出た僕を後ろから追いかけてきてくれて、
僕が買えなかったバナナを差し出しながら、ピースと微笑んでくれた店員さんがいた。
メキシコの田舎町でバイクが故障して途方に暮れているときに、
トラックでバイクを自分の家まで運んで必要な部品を一緒に探してくれたおじちゃんと、
不安そうに待つ僕に店の売り物のラーメンとコーラをくれたおばちゃんと、
時間がかかりそうなことを察してサッカーに誘ってくれたそこの家の息子がいた。
言葉の通じない国で優しくしてくれる人がいて、
身振り手振りでしか感謝の気持ちを伝えれない僕のめちゃくちゃな表現を、
それでもしっかり目を見て受け止めてくれた。
全員がそうでなくても、優しい人はいた。人の優しい心はとてもあたたかかった。
きっとそれで十分なんだと思う。
すべての景色が、すべての人が、すべての時間に美しく優しくあり続ける必要なんてない。
この景色を見るために、この人に出会うために、自分は生きてきたのかもしれない、
そう思える瞬間が一瞬でもあれば、この世界を生きる意味はあると思う。
求めていたものとは違う何かを、それでも大切だと握りしめる。
見続けている夢を諦めきれずにいて、かけ離れた今を捨てきれずにいる。
曖昧な言葉で騙しきれない本心を、帰り道の寒空へため息とともに逃がす。
僕らは、人知れず戦っている。
悟ったふりして諦めて。忘れたふりして期待して。
不安は絶えず、道は険しい。それでも僕らは進む。
いつかどこかで肯定される、そんな景色にそんな人に、きっと出会う。
そういう風に信じるくらいの価値はこの世界にあると思う。
美しくなくても、優しくなくても、それでも。
生きていくには、わるくない世界だと思った。
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旅とはいったい何だったんだろうと考える。
旅をするということは、遠く異国の地へ行くということではなくて、
もしかすると数メートル単位の行為なのかもしれないと思う。
その距離に関係なく、今いる場所ではないどこかへ向かうそのときに、
歩みが経験として、出会いが感情として、変化が視点として、
自分の世界に新たな色を加える。
この”色を集める”という行為が、旅というものなのではないだろうか。
そこに何があるのか、誰と出会うのか、何を見て何を思うのか、
それはその場所に立つまではわからなくて、
辿り着いた瞬間に、胸を掴まれ鳥肌が立ち血液が熱く巡り、新しい色の存在を知る。
それはときに自分の持つ別の色と混ざりながら、パレットに加わり、
そうして増えていく色を見るのが楽しくて、僕は旅を続けた。
出国前の日記で、僕は、旅が始まる前の状態を、
“大きな白い画用紙があるけどどうしよう状態”と表現していた。
その表現には、旅が終わるころには、
きっと素晴らしい絵が描き上げられてるんだろうという、期待が含まれていた。
いろんな景色を見てきた目は、すべての答えを見通せて、
いろんな人と出会うことで、ずっと優しく強くなれて、
そのなかで描きあげられていく絵は、世界を驚かせるようなものになると信じていた。
でも、実際は、そんなことはなかった。
僕は、あいかわらず、僕のままで。
視野が広がることも、感受性が豊かになることもなく、
大きな画用紙はまだ真っ白のまま、ポケットの中にはいっている。
あれ、こんなはずじゃなかったんだけれどなと首をかしげながら、
その理由を考えて、ようやくわかったのは、
“色を集める”ということと”何かを描く”ということは違うということ。
旅をしていると、多くの景色を見て、多くの人と出会う。
そうやっていろいろな色を手にする度、それだけで自分がおおきく変わったような錯覚を覚える。
でも、それはあくまで何かを描くための手段を得たに過ぎず、
その時点で何かを成し遂げたわけではない。
だから意味がない、なんてことが言いたいのではない。
焦る必要はない、と思うのだ。
この旅で僕は、間違いなく、
たくさんの経験を、たくさんの感情を、たくさんの視点を、味わった。
そして、今、パレットに多くの色が並んでいる。
僕の旅は、終わる。
でも、物語は続く。
きっと、ここからが始まりなんだと思う。
世界を驚かせるような絵は、きっとこれから描かれる。
無邪気な期待で、未来の自分にプレッシャーをかけながら、
それでも何を描こうかなとキャンパスに立ち向かえるくらいには、
僕はこの旅をしてよかったと思っている。
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世界一周。
いつかしたいなとずっと憧れていた。
僕は、遠くへ行きたかった。
自分を取り巻く全てから離れ、ひとりで遠くまで歩けば、
どこかで大切な何かを見つけることができると思っていた。
でも、どれだけ歩いてもそれは見つけられず、
遠くへ離れよう離れようとする行為はいつの間にか、
もといた場所へ近づこう近づこうとする行為へと変わっていた。
多くのことを求めて、いろんなことを期待して、
それを叶えたわけでも、もちろん諦めたわけでもないのに、
僕は明日、日本へ帰る。
世界一周をはじめて3年たって、ようやく一周するという言葉の意味がわかる。
どこかにたどり着く必要も、何かを成し遂げる必要もない。
何かを追いかけ、ときにそれすら見失いながら、そしていつかまた同じ場所に戻る。
それが世界を一周するということなのではないだろうか。
そこに期間も距離も方法も関係はない。
どこかを目指し、進み続け、いつか帰ってこればいい。
僕はもうすぐ帰国する。世界一周は終わる。
でも、まだ途中にいる。
なにも終わっていない。始まってすらいない。
答えはどこにもなかった。
世界に散らばっていたのは多くの問いかけだった。
非日常が続いているわけではなかった。
どの場所にもそこで生活する誰かの日常があった。
ひとりになることはできなかった。
誰かに支えられることでなんとか生きてこれた。
どこか遠くなんてそんな場所はなかった。
でもだからまた帰ってこれた。
ひとりになる必要もない。がむしゃらに遠くを目指す必要もない。
思い切り描けばいい、絵の具は揃っている、画用紙が待っている。
すべてがうまくいくわけないのは知っている。
でも、それがすべてがうまくいく明日を目指さない理由にはならない。
思うがままに進めばいい。
友達に会いたい。心配ばっかりかけていた家族を大切にしたい。
居酒屋に行きたい、ラーメンを食べたい、鍋がしたい。
わるくない世界がある。
桜を見に行きたい。海にも行きたい。紅葉にも雪山にも行きたい。
小説を書きたい。写真を撮りたい。花屋やパン屋もやってみたい。
手に入れた色がパレットに並ぶ。
不安に押しつぶされそうになりながら、それでも挑戦し続けたい。
弱いときにもちゃんと笑って話せる人に、強いときにも目の前にいる誰かの気持ちをしっかり考えられる人になりたい。
これからどうなるかわからない日々がはじまる。
でも、きっと大丈夫だと思う。
生きていくしかないし、生きていけると思う。
楽しい日々は、終わらない。
世界を驚かせるような絵を描く。
力強く、鮮やかに、そしてColorfulに。