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ドミノ倒しみたいに。
出国306日目。
30カ国目のナミビアのウイントフックにいます。
ナミビアはレンタカーでまわるのが楽しいよ、ってことで。
7日間かりて1人900ナミビアドル(9000円くらい)。
南から時計回りでくるりとまわる。
赤い砂漠。
ウェルウェッチア。
めっちゃかっこいい。ちなみに和名が奇想天外ってのもなんかいい笑。
オットセイいっぱい。
北部のオプトからはヒンバ族の村へ。
最後にエトーシャで、キリンもサイもライオンも。
盛りだくさんで楽しい。
この一週間は車の移動ってのもあって、
毎日メーターでどれくらい移動したかを確認していて。
自分の速度や走行距離を意識するのって、なんとなく、いいなって思った。
どこか目的地へ向かっいる時も、なんとなくぶらぶらと歩いてるときも、
僕達はある速度で、ある距離を歩いていて。
もちろん、その速度や距離自体に意味はないねんけど、
でもその速度や距離を計測することはほんとはできて。
「いつもは見ていないけど、見ようと思えば見れるもの。」
を持ち歩いている感覚って、もっと意識していいものなんじゃないかなって思った。
力を込めれば歩く速度はあがるし、それによって体温も変わる。
走ったからこそ間に合ったバスもあるし、乗り過ごしたからこそ見えた夕日もある。
100kmごとにいいことが起こる、とか時速7kmを越えるとわくわくが増すとか、
そんな設定がない、なんて断言はできなくて。
雨上がりの虹にも、手をつなぐ前の緊張感にも、ごはんの前のいただきますにも、
理由も価値もやっぱりあると思うし、
そういうものがドミノ倒しみたいにつながる世界って面白いなって。
いっそのこと、そういう世界ってことにしてみようかなって思った。
目を閉じることで描ける世界があって、静寂の中でこそ音は広がる。
どうせなら、隅々まで楽しんでみたいよなー。
なんてことを考えながら時速80kmくらいのバスにゆられて、1500kmくらい離れたケープタウンへ。
速度や距離がどの程度関係しているかはわからないけど、
少なくとも今の僕はすごくわくわくしている。
枝の先に花が咲く。
出国291日目。
28カ国目のザンビアのリビングストンにいます。
なんとなく訪れたその国は、バスもきれいで、道も整備されていて、
最貧国のひとつとされているザンビアのイメージとはかけはなれていて、
ひとつにここがヴィクトリアの滝への窓口になってるってのもあるんやろうけど、
それでも思ったより都会でびっくりした。
で、そのヴィクトリアの滝。
ザンビアとジンバブエの国境にある世界遺産にも指定されている滝で、世界三大瀑布のひとつ。
さすが。これで増水期じゃないねんからすごいと思う。
これだけずっと水が流れ落ちながらそれでも全くその流れが尽きる様子がなくて、
ずーっと前に、地球上の表面積の70%は水です、って習ったのを思いだした。
ゆるりとすごしてなんだかんだ夕方まで。
で、満月の日は夜も入場できるんだよー、って噂があって。
しかも夜は満月の光で虹がみえる、なんてモテそうすぎる噂もあわせて聞いてて。
そのまま夜も滝を見ることに。
さすがに月の光で虹が見えるってのは言い過ぎやろーと思いながら、
でも夜の滝って行ったことないし、なんかいいなーってぼんやりしてたら。
見えた。なにこれ。すごい。
満月の夜に月明かりで滝に虹がかかる。
なんて物語みたいなことがほんとにあるってなにこの世界。めっちゃいい。
虹が見える条件として、光源・プリズムとなる水滴・観察者、の3つがあればいい、
ってのは頭ではわかってるけど、それでもやっぱりすごいなと思ったし、
幻想的すぎて心がどんと奪われた。
明るい光が水滴の中で屈折・反射し、屈折角の違いによって様々な色に分解される。
その分散された光のスペクトルが虹として僕達の目に映っていて。
あー光ってこんなにいろんな色を含んでたのかって思った。
毎日もきっと同じなんやろな。
今日は悲しい日、明日は楽しい日、そういうふうに単色の光として存在するのではなくて、
いろいろな感情がごちゃまぜになったそれが集まってひとつの光のように見えていて。
だから、細かい感情の集合体としてではなく、
どっちかっていうと元気とか、今日はちょっとよくないかも、
みたいな感じで僕らはそれを混合物として判断していて。
でもやっぱり、ほんとはひとつひとついろいろな物事があって、いろいろな感情があって。
光、としてまとめてしまうのは、なんだかもったいない気がして、
ふと、糸井重里さんの言葉を思いだした。
「人はきっとまだら状に考えるのであって、そのまだらは、混ぜないまま記録しないと、間違えると思うんですよ。
—〈中略〉—
それは、ミックスフルーツのジュースじゃなくて、ミックスフルーツのままでかごに盛る必要があります。そこからぼくらは頭の中を自分で整理しなきゃいけないんです。」
混ぜてしまったほうが簡単に飲み込めるようなこととか考えやすくなることもあって、
もちろんそうしないと進めないような時だってあるとは思うけど、
でもやっぱり、どちらかというと、そうだからこそ、ひとつひとつをしっかり捉えていきたいと思った。
僕達はあらすじを語るために生きている訳ではなくて、
だからそこには本筋に関係ないような出来事もたくさんあって、
そしてそういうこと全部を含めての物語があって。
きっとそういう物語を面倒くさがらずに一文字一文字読み進めたその先に、
僕がつかまえたいと思っている読後感はあるんじゃないかなって。
枝の先に花が咲く、みたいな、そんなイメージ。
日常という光源があって、それを感じ取る自分という観測者がいる。
だからあとはプリズムとなる水滴があれば、その光をカラフルな虹として僕らは見ることができるんだけれど。
その水滴を準備するのは、すごく簡単なことなんじゃないかな。
だって、地球上の表面積の70%は水って習ったしな。
探す理由。
出国282日目。
27カ国目のマラウイのケープマクレアにいます。
チズムル島からンカタベイへもどったあとは、
バスをぐんぐん乗り継いで、南へ南へ。
マラウイめっちゃいいやん、ってなって、
もう少し違う町へ滞在したくなって、
さらにのどかでいいよ、っていう噂のケープマクレアへ。
めっちゃいい。
海があって、山があって、一本道がどーんってあって。
人が優しくて、1ドルでキャンプサイトに泊まれて、夕日も月もきれい。
もちろん観光名所なんてないから、
朝起きてぶらぶらして、洗濯して、ご飯作って、夕日見ながらウクレレ弾いて、夜の湖をぼんやり眺めて、みたいなそんな生活。
そんな中、ふと感じる違和感があって。
なんやろーと思ったその正体は、月の満ち欠け。
「月は右から満ちて、右から欠けます。」そんな風に教えてもらった記憶があって。
これまで見てきた月の満ち欠けも、そのとおり、いっつも右からはじまっていて。
だからもうすぐ満月やなーとか、これから新月にむかってくのかー、とかそんな風に無意識に考えてたんやけど。
でも、ケープマクレアで見ていた月は、明らかに前日より左側に満ちていて。
はじめは勘違いかなーなんて思っていたけど、次の日には勘違いじゃないなーってなって。
これまで右から欠けて右から満ちていた月が、いつのまにか、左から欠けて左から満ちるようになっている。
そんなことあるわけない、なんて思いながらも、
やっぱり信じるのは、実際に目の当たりにしているほう。
で、探す理由。
【可能性①】
もしかして、僕、違う世界に迷いこんだ?
みたいな夢はちょっとおいておくことにして。
考える。
そもそも、満ち欠けってなんやっけ、ってところから。
月が地球の周りを公転することで、太陽、地球、月の位置関係が変わって、
月の太陽に照らされている部分の広さが変わるから満ち欠けしてるように見える。
ってのはなんとなく覚えていて。
で、月は地球の周りを30日かけてまわってるから、30日周期で少しずつ形が変わって、、ってことは。
【可能性②】
月のまわる方向が変わった?
まあ、もしそうなれば、満ち欠けの方向も変わるけど、
そんなことあったらたぶんめっちゃニュースになってるから、この可能性も却下。
で、探す他の理由。
考える考える。
次は、最後に右からの満ち欠けを確認したのはいつかを思い出す作戦。
まったく覚えてないねんけど、少なくともエチオピアでは満月前に右から満ちていた気がする。
じゃあエチオピアとマラウイとで、月の満ち欠けの方向以外に何か変わったことあるかなーって考えて。
ひとつに年が変わっている、時間が経っている。でも、それで説明できるようなことはなくて。
気温、季節も変わったな。寒い方が大気中の水蒸気が冷やされて星がはっきりみえる、みたいな話は聞いたことがあるけど、それが満ち欠けが反対になった理由にはならなさそう。
あとは、場所が変わった。途中ウガンダで赤道を越えながら、距離にして2000kmくらい南下したから、、。
ん、もしかして。
【可能性③】
北半球と南半球では月の満ち欠けが反転する。
なんか、めっちゃありそう。
季節が反対になるくらいねんから、満ち欠けだって反対になってもいい気がする。
でも、もしそうなら、なんでかなーって。
むしろどういう状況なら反対になるかなーって考える。
考える。考える。考える。
で、思いつく。
もし月が赤道上をまわっていたら、北半球と南半球で満ち欠けが反対になることが説明できる。
北半球から赤道を見た場合、西側は右手に見えるけど、
南半球から赤道を見ると西側は左手に見える。
だから北半球から赤道上にある月を見て右側へ満ちていく場合、南半球から見たら左側へ満ちていくようにみえる。
うん、すっきり。
みたいに、いろいろ考えるには十分時間があるのも、ケープマクレアのいいところ。
パソコンも壊れてたって状況も手伝って、久しぶりにめっちゃ考えて。
その後調べたところによると、ざっくりはあってて。
なんか、しっかり考えたことのを答えあわせってめっちゃ懐かしくて、高校の頃を思いだした。
面倒やからどうでもいいやって簡単に投げ出すことも、
なんでかなって思った時に簡単に調べることもできて、
だからこそ、しっかり考えていきたいなって思う。
まあ僕が理由を思いつこうがつかまいが、南半球から見る月は左から満ちて左から欠けるし、
僕がすっきりしたその前後で月のきれいさは変わらないし、もちろん僕に変化もないねんけど。
それでも、考えてよかったなと思ったし、これからも考えていこうと思った。
さっきより左側に少し満ちた月を見ながら、
もしほんとに違う世界に迷い込んだってのが答やったらどうしよう、ってなって、
まあ考えるしかないか、って思った。
五十音みたいに。
出国276日目。
27カ国目のマラウイのチズムル島にいます。
あけましておめでとうございます。
2014いぇーい、と年越しをしたのは、
自然いっぱいのマラウイの、さらに自然いっぱいのマラウイ湖にうかぶ島、チズムル島。
チズムル島にはサツマイモとトマトしか売ってないよ、って噂にどきどきして、
そんな素敵な島に行かない理由がなさすぎるやろーってことで、のりこんだチズムル島で、
なにがいちばんどきどきしたかって、そのサツマイモとトマトすら売ってないやんってなったことかな。
電気は22時に消えるし、湖はきれいやし、バオバブはかっこいいし。
みんな優しいし、星はきれいやし、蛍めっちゃ飛んでるし。
なんかもう素敵すぎる島。
そんな素敵な島で、2013年のおわりにぼんやりと振り返り。
友達と全力で八坂神社に向かって走りながら迎えた2013年は、その全力疾走の勢いのまま最後まで走り抜けた感じで。
会社やめたり、テレビにでたり、世界一周がスタートしたり。
日本で、アジアで、中東で、ヨーロッパで、アフリカで、いろんな人に出会いながら。
喜怒哀楽のどれもがばっちり混ざった日々は、思った以上に楽しくて。
いい1年やったなー。
何もない島は、雑音が少なくて、思い出すのにちょうどいい。
素敵に和音で終われたんじゃないかな2013年。五十音みたいに。
もちろん、全力疾走をやめる気なんてさらさらなくて。
酸いも甘いも、楽しいも悲しいも、どきどきもひやひやも、
全部食べきって進んでいくことにしてみよっかな、そんな2014年のはじまり。
いい1年にしたいなー。
何もない島は、余白が多くて、思い描くのにちょうどいい。
2014年、せっかくなんで、こちらも愛で始まれば素敵やな。五十音みたいに。
今年もよろしくお願いします。