Archives
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
---|---|---|---|---|---|---|
« 10月 | 12月 » | |||||
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
苦味が、恋しい。
出国240日目。
23カ国目ケニアのマサイマラ国立公園にいます。
エチオピアから18時間かけてなんとか、ナイロビへ。
そういう道をあえて作ってるんじゃないくらいの悪路がすごくて。
バスの中で、どんだけ跳ぶねんってくらい跳んで、筋肉痛とともにケニアin。
ナイロビは治安よくないよーっていう話も聞いていたので、
さくっとサファリだけ行って、通り抜けることに。
で、そのサファリ。どん。
キリン。
ゾウ。
ライオン。
シマウマ。
カバ。
ヒョウ。
ガゼル。
サイ。
バッファロー。
イボイノシシ。
すごい。
めっちゃ楽しい。
当たり前やねんけど、めっちゃ動物おる。すごい。楽しい。
途中でなんでこんな楽しいんやろって考えてて。
あー、きっと見れないかもしれないってのが楽しいのかって思った。
1+1が2になる、その安心感はやっぱり捨てがたいねんけど、
うまくいくかわからないからこその期待感って素敵やと思う。
もちろん期待外れでうまくいかないこともあるけど、それでも、
うまくいかない、を正当化するわけじゃないけど、
うまくいかない、を楽しいと思えるようにはなってきていて。
なんとなく、それは、ミョウガを美味しいと思った時に似てるなと思った。
なんていうか、子供の頃はカレーとか唐揚げが好きやったけど、
大人になる過程で、ミョウガとかピーマンとか苦いものを食べないといけない時ってあって。
その過程で、あれ、これって苦味を美味しいとして認識したら全てうまくいくんじゃない、って
ずる賢い大人の防衛本能が働くようになって、だから大人になると、
昔は苦くて食べれなかったミョウガを美味しいと思うようになったんじゃないかなって。
生きているとやっぱりうまくいかないこともあるんやけど、
だからこそ、その「うまくいかない」を美味しく食べる方法を模索するのって大切なんじゃないかなと思う。
それこそ苦味を美味しいと捉えるくらいのずる賢さで、
「うまくいかない」を味わうことができればこっちのもんなんじゃないかな。
そしてそのために大切なことって、逆説的かもしれないけれど、
すべてがうまくいくと全力で信じることだと、僕は思っている。
予想通りの「うまくいかない」ほど、つまらないものはないし、
やっぱり全てがうまくいく明日を追いかけるって姿勢があってこその「うまくいかない」やと思うねんな。
もちろんその分、感情の振れ幅は大きいし、
でも、それを受け止めることのなかに「うまくいかない」を美味しく食べる秘訣ってあるんじゃないかなと思う。
あー。ミョウガ、食べたいな。
苦味が、恋しい。
先取って、きれい。
出国233日目。
22カ国目エチオピアのジンカにいます。
自然いっぱいのエチオピア北部を満喫して、
いろいろな民族がいるエチオピア南部へ。
全ての村をまわらなくても、いくつかの村のマーケットをまわれば
いろんな民族見れるよ、ってことでジンカ村を拠点にふらふらすることに。
ジンカ村は何もないところ。ゆっくりと、よい時間。
ジンカ村のマーケットにはどの民族もきてなかったけど。笑
トゥルミ村で行われているマーケット。
ハマル族はカラフルで素敵。
オモ国立公園にあるムルシ村。
子供かわいい。
大人かっこいい。
ムルシ族の女性は、唇に土器で作った皿をはめ込む習慣があるみたい。素敵。
ウクレレと子供。
いろいろな民族を見る中で、
その外見や日常の違いは、抱えている秘密みたいなものの違いなんじゃないかなって思った。
それぞれの民族が、歴史の中にそれぞれの秘密を持っていて、
でも秘密は秘密として抱え込みながら、それぞれの文化として表現する。
だから違うのは当然で、かっこいいのは当然で。
もちろん、それは、民族だけではなく、僕達ひとりひとりに言えることでもあって。
僕達も、それぞれのこれまでの中にそれぞれの秘密を持っていて。
それぞれの秘密を抱え込みながら、それぞれの美学として表現する。
その美学は時にプライド、みたいな言葉でも表されることもあると思うねんけど。
秘密は秘密であるから、かっこよくて。
それが文化として、美学として、昇華されて表現されるのは、とても素敵なことな気がするねんな。
でもやっぱり、秘密にしておくことが疎ましくなって、
もうみんなに打ち明けてしまいたい、そんな風に思う時もあって。
「もういいや。」と種明かしをしてしまいたいそんな時に大切なのは、
ぐっとこらえて歯をくいしばって、みんなに見せたいその種を土に埋めて、毎日水をやることなんじゃないかなと思う。
いつの日か、花として咲かせてみせるくらいの意地は、きっと持っていたほうがいい。
いつの日にか咲くということを知っているその種は、先取って、きれい。
大切に抱え込んでいるその人を輝かせるには、十分に、きれい。
「ド」の音で。
出国221日目。
22カ国目エチオピアのダナキルにいます。
ちはやふる、という競技カルタを題材とした漫画がある。
競技カルタっていうのは、百人一首の上の句を聞いて、下の句のみ書かれた札をとりあう競技。
札は全部で100個しかないので、全てが読まれなくても、数文字だけ聞けば札を穫ることができて、
その文字数によって、一字決まりや二字決まりなんて呼ばれ方もされてるねんけど、
札がどこにあるかの記憶力と音が聞こえてからの瞬発力が試される、そんな競技。そんな漫画。
知らない世界ってのはやっぱり興味があって、面白くて、思わず一気に読みふける。
そんな夜更かしから、一夜明けて、ダナキルツアーへ。
ダナキルは「さらば地球、そして金星よこんにちわ」そんなキャッチフレーズで紹介される、
地球上で最も過酷な場所といわれている場所で、もちろん、ここも知らない世界。ドキドキ。
知らない世界ってのはやっぱり興味があって、面白くて、思わず一気に。
とはいかず、ダナキルツアーは3泊4日でじっくりと。
泊まるところはこんな感じ。夜空ベッド楽しい。
ダロールと呼ばれる溶岩台地。ドキドキ。
塩湖。夕日のタイミングで風が止む素敵。ドキドキ。
世界的にも数少ない恒常的な溶岩湖のあるエルタアレ火山。
夕ご飯後に火山を登って夜中前に火口へ。
煙とか刺激臭とか、そんなことより、ここでもドキドキ。
なんていうか、やっぱり世界は、ドキドキすることであふれていて、
もうこれから先こんなにドキドキすることなんてないんじゃないかな、
なんていう瞬間的な思考を、瞬間的な思考として流すには十分なドキドキが、次から次へと現れて。
そうなってくると今の僕に必要なのは、ドキドキの「ド」の音で動けるかどうか、その瞬発力なんだろうなと思う。
百人一首じゃないけれど、聞こえてくる音の中から、ドキドキする音に反応したい。
もちろん、そのあとドキドキ、と続くかどうかはわからないんだけれど。
それでも、やっぱり動きたいな。
早い者勝ちではないんだけど、それでも、はやく穫りたい。瞬発力が欲しい。
どの音も、ドの音に聞こえる毎日はやっぱり楽しくて。
たくさん並んだ札の前に正座して、次に読まれる札に耳をすます。
好きな歌が詠まれるかもしれない。次に聞こえてくるのはまだ聞いたことのない音かもしれない。
そんな時間がすごく好き。
そんな時間が流れる今がすごく好き。
めまぐるしくドキドキの押し寄せる毎日の中で、
ようやく出会えたドキドキがいつのまにかなくなってしまっていたりすることだってあって。
なんていうかそれは、まるで雲に隠れてしまう月のようで。
みたいな歌も、百人一首にはあって。
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな / 紫式部
これも一字決まり。
音が聞こえたなら、動けばいい。
天国にラバで行く。
出国216日目。
22カ国目エチオピアのラリベラにいます。
山の上の小さな町、そんな感じ。
町をぶらぶらするには、坂道が多いけど、それでもやっぱり歩いてしまうような、素敵なところ。
早起きして世界遺産のラリベラ岩窟教会のひとつギオルギス教会へ。
岩を掘って作られた十字架とそれを拝む人と。雰囲気があってとてもよい。
なんでもない広場があって、さすが小さな町やなーと思ってると。
土曜日には大きなマーケットに。
人が集まって、売ったり買ったりしていて。
ヤギってそういう風に連れて歩くのか。
お祭りみたいに見えるけど、でもその場所には確かにそこで暮らす人々の生活があって。
これだけ人が集まっているのに騒がしさのようなものを感じなかったのは、
そこが非日常としての発散の場所ではなく、地に足をつけた日常の一場面だからなんだろうなと思った。
ラリベラには天国に最も近い教会があるよ、って聞いていて。
よく聞く謳い文句やなーなんて思いながら行くかどうか迷っていると。
ラバに乗って2時間くらいでいけるよ、って聞いて。
天国にラバで行くことなんてきっとこの先ない気がするなーと思って行くことに。
ひろい。きれい。すごい。
ここで感じたのもやっぱりこの土地にある日常で。
何かを繰り返して続けていく様の力強さってのはやっぱりあるような気がした。
ここに住む人の日常が集うマーケットと、天国に最も近い教会と。
その間にはラバに乗って2時間くらいの山道が会って。
ラバに乗りながらの帰り道、なんとなく、天国ってそのくらいのところにある気がした。
進むスピードは、早くすぎず、遅すぎず、かといって歩くのも少し違うし。
ラバに乗って、くらいがちょうどいいと思う。
あれこれ思い出したり考えたりしながら気がつけば着いている。
映画1本分見るくらいのイメージでだいたい2時間、くらいがちょうどいいと思う。
当たり前に答えあわせなんてできないけど。笑
でも、僕の中ではそういうことにしようと思う。
なんていうか、よくわからないものの答えをひとつひとつ解答用紙に書いていく毎日は、
昔の人が星を見ながら星座を決めていったように、意味はなくてもきっと必要な気がしていて。
それを繰り返すことで僕自身の日常を作っていきたいと思うし、その結果、
坂道が多いけど、それでもやっぱり歩いてしまう、そんな毎日になればいいなと思う。