出国365日目、嘘でもいい日に思うこと。
出国365日目。
イースター島でゆるりとすごしていました。
いつかは行きたいなと思いながら、
行くことはないんやろなと思っていた場所。
ショートケーキの苺を食べるときにすこし似た、
嬉しさと悲しさが混じったような感情を、
ショートケーキの苺を食べるときのように、
ゆっくり味わいながら、この1年を振り返り。
右も左もわからないまま、そんな時はとりあえず前への姿勢でスタートしたのはタイのバンコク。
アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ、南米と、ぐんぐん進んで、気づけば31ヵ国。
世界はほんとに広くて、どこまでいっても果てしなくて
どれだけ国境を越えても広がらない視野に嫌気がさしながら、
いつになっても広い世界すべてを見ることも、聞くことも、
もちろん、動かすことなんてまるでできない。
なんて、思わずにはいれなかったけど。
もしかしたらちょっと違うのかなって思えるようになったのは、
ふたつのことに気づいたから。
ひとつめは、僕らは見えないものを見ることが出来るということ。
確かに世界全てを実際に見ることはできないけれど、
それを補うように、僕らには想像することができて。
時計の針を見て、終電がなくなったことを知るように、
階段の音を聞いて、だれかの帰宅に気づくように、
桜のほころびに、春の訪れを感じるように、
僕らは見えないものを見る手段をもっていて。
ちいさい頃、サンタクロースを信じていたのだって、
サンタクロースに会ったことがあるからじゃなくて、
クリスマスの朝、枕元にプレゼントが置いてあったからなんじゃないかな。
その想像の種となるその目の前の世界に働きかけることくらいは僕らにもできて、
そうすることで僕らは想像したい世界の種を、そしてそこから広がる世界を、作ることが出来るんじゃないかなと思う。
アンラッキーのあとにラッキーがある世界が好きなら
アンラッキーのあとにラッキーを作ればいい。
家族が笑っている世界がいいなら、
手紙を書けばいいし電話をかければいい。誕生日にプレゼントを贈ればいい。
世界中の子供が学べる世界をつくりたいなら、
例えばカンボジアの学校建設に関わることだってできる。
そうやって手の届く範囲の世界を変えることで、
少なくとも自分の中に広がる世界は動かせると思う。
そして、もうひとつ。
僕の見ている世界は、他の誰かの見ている世界につながっているということ。
目の前の世界に働きかけることで色付くのは確かに自分の世界だけかもしれないけれど。
そんな自分勝手なペイントのなかで、誰かの世界にも色は撥ね、飛び散る。
星を見るために天体望遠鏡を持って歩く僕の姿を見た誰かが流星群の存在に気づくよな、そんなイメージ。
さらに、もっと積極的に彩ることだって可能で。
例えば、自分の前に流れている川にそっと灯籠を流して、
誰かの世界に少しあかりを灯す、そんなことだってできる。
世界をがらりと変えるには、確かに僕はあまりに無力で。
でも、だから仕方ないよと自分の周りだけを世界から切り離すなんてことはできなくて。
じゃあ今は信じてみるのはどうかなって思う。
目の前の世界を変えることが、僕の中の世界を作るということ。
その中で飛び散った絵の具が、つながっている誰かの世界も彩るかもしれないということ。
僕は誰かが笑っているときの空気が好きで、友達が好き。
人間らしさに溢れる人が好きで、楽しい毎日が好き。
そういうものが溢れる世界がいい。
春風が吹くような、そんな景色がいい。
だからまずは、目の前の世界に、種を蒔いてみようと思う。
いつかその花が世界に広がって、誰かの世界にも春を知らせることができれば。
うん、やっぱり嬉しいかな。
そんなことは無理かもしれないし、現実的じゃないかもしれない。
でもこの世界は、絶対行けないと思っていたイースター島にもこれるようなそんな世界。
だからとりあえず僕は、こんな嘘みたいな理想論を、嘘だとしても振りかざしていこうと思う。
そんな今日は、4月1日。嘘でもいい日。