対義語のどちらかひとつ。
出国132日目
11カ国目のヨルダンのワディラムにいます。
死海もペトラもいいけど、ヨルダンの砂漠も楽しいよ、みたいな噂を聞いて。
砂漠好きやけど今回はどっちでもいいかなと思っててんけど、
タイミングよく人数がそろったってのもあって、行くことに。
出発の景色からどきどきする。
砂漠を4WDで走って、わーすごーいなんてわいわいしてる間に、
今晩泊まるキャンプサイトに。
砂漠の夕日は思っていた通りすごく素敵。
でもそれよりもどきどきしたのは、星。
プラネタリウムで働いていた友達と一緒だったこともあって、
満点の星空をみながらいろいろな話を聞く。贅沢。
星写真の撮り方なんかも教えてもらいながら、明け方までぱしゃぱしゃとはしゃぐ。
きれいきもちいたのしい。
カメラの充電がなくなったところで、毛布を外に運んで、砂漠の上で就寝。
砂漠の余熱を感じながら、吹く風の上には天の川。
ふと、精密板金職人の菅野敬一さんの言葉を思い出した。
「昼間、青い空の向こうには宇宙が広がっていると想像するけど、
山の中で漆黒の闇に包まれていると、自分の皮膚の際まで宇宙がきているのを感じる。
自分と宇宙が一体になったような感覚というか、自分は宇宙の一部なんだとはっきり実感できる。」
見えるということ、信じるということ。
見えないということ、想像するということ。
対義語のどちらかひとつを選択する必要なんてなくて。
どっちもやっぱり、すごいと思うねんな。
見えないものを見ようとして、見えてるものを見落として、
望遠鏡をのぞくよな午前2時の踏切に、響くラジオの音のような必死さもきっと大切だけど、
見えてるものを大切にして、見えないものに憧れて、
布団にくるまって目を閉じて、砂漠の静寂にも耳をすますよな丁寧さもきっと必要だと思う。
目を開けるたびにすこしずつ移動している星をみて、動いている自分にようやく気づく。
なんだかすごく安心して、また目を閉じようとしたそのときに、流れる星。
そうか、ペルセウス座流星群か。
なんていうか、乾いているという潤いが、
この砂漠には間違いなくあった。